灯台のことを、もっと知りたい! 「ファロロジー」のススメ

2019/09/30

■みなさん、「ファロロジー」ってご存知ですか?

灯台について、歴史や建築、光学の面から学術的に研究することを「ファロロジー(Pharology)」というらしい。私はロバート・スティーブンソン(小説「宝島」を書いたロバート・ルイス・スティーブンソンの祖父にあたる人物)の本でそのことを知った。スティーブンソンは、スコットランドの土木技師であり、灯台の設計者として世界的にも有名な人物だ。代表作としてベルロック灯台(スコットランド/上の写真)が挙げられる。

ちなみに、「日本の灯台の父」と呼ばれているリチャード・ヘンリー・ブラントンは、スティーブンソンの息子たち(アランとデービッド)の会社から派遣されて日本にやって来た。つまり、スティーブンソンは日本にも影響を与えた灯台界の大御所なのだ。

スティーブンソンの胸像

■灯台の世界史を勉強しよう

よし、レッツ・ファロロジーだ! 灯台の世界史から勉強しよう。

世界で最初の灯台と言われるのはアレクサンドリア灯台(エジプト)だ。時代は古代まで遡る。場所はエジプト北部。「地中海の真珠」と呼ばれる港町アレクサンドリアに建てられた灯台だ。

アレクサンドリアの大灯台の想像図 ©️German Wikipedia 

■アレクサンドリアの大灯台

紀元前3世紀、初代プロレマイオス朝の王が建造を指示し、12年かけてプトレマイオス・フィラデルフォスの時に落成式が行われたらしい。高さが130m(諸説あり)もあったと言われることや、その光は50km以上も届いたと言い伝えられることから、世界七不思議の一つと言われる。1700年間も使われたが、14世紀に地震で倒壊した。

冒険家の残した記述や、ローマ時代のコイン、壁画のモザイク画に描かれた姿から、灯台の様子を想像することができる。

ローマ時代のコイン

灯台が建てられていた場所には、その後、台座部分を利用して要塞が作られた。現在は軍事博物館として観光地となっているらしい。

また、イタリアのオスティカ(ブーツになぞらえると、向こう脛の真ん中あたりに位置する場所)は、ローマ時代に主要な港町であり、ここにアレクサンドリア灯台とほぼ同じ灯台が建っていたという。ただし大きさは4分の1程度の約30mと、比較すると小ぶりな灯台だ。

■ロドス島の巨像

続いて、地中海の東側に位置するロドス島(ギリシャ)にも灯台の伝説が残っている。こちらも紀元前3世紀。高さ30mの太陽神の像が、ふたつの防波堤をまたぐ姿で建立された。これが本当なら世界初の防波堤灯台だ。

16世紀の画家Martin Heemskerckによる想像図

つまり、船は太陽神の股の下をくぐるように入港するのだ。想像するとちょっと面白い。くぐる時に見上げたら何が見えたのだろう…。

この灯台も世界七不思議に含めることがある。太陽神の目の部分で光が灯されたとか、手にもった聖杯に火が灯されていて、不審な船が入港しようとすると上から聖杯の油をかけられたとか、ちょっと信じがたい話も伝えられている。

この像は半世紀ほど建っていたが、やはり地震で倒壊した。

■ヘラクレスの塔

2世紀にはすでに灯台として存在が知られていたのがヘラクレスの塔(スペイン)だ。スペインの北西部、コルーニャという場所に現在でも建っていて、現役最古の灯台と言われる。

現在55mの高さがあるが、これは1788年〜91年に改築したためで、ローマ帝国による建設当時はそれよりも20mほど低かったようだ。

©️Alessio Damato

■ドーバーのローマ灯台

またローマ軍がイングランドに進出した時に建てたと考えられる灯台がいまも残っている。イギリス海峡に面したドーバーの城の敷地内だ。

ドーバー城に残っているローマ時代の灯台©️Chris McKenna 

高さは20mほど。この最上部で灯されていた光をみて、ガリアやブリタニカの船が往来していたのだろうか。

■灯台は人間の歴史を見守っている

ローマ帝国が衰退する西暦400年ごろまでに地中海、ヨーロッパ、アフリカ、黒海、大西洋に30あまりの灯台が建てられたと考えられている。しかし、中世の前半(400年〜1100年ごろ)は中央政府による統治がなくなり、海運が減ったことから灯台建設が下火になる。

再び灯台が建てられるようになるのは1500年以降だ。

灯台は人類の歴史にピタリと寄り添うように世界各地に誕生し、長い時空間を経ても、今の私たちにいろいろなことを伝えてくれるように感じる。

ファロロジーを軸に、古代史についても興味が広がってきた。大人になってからの勉強の面白さを満喫しながら、これからもファロロジーを続けていきたい。