「恋する灯台」認定表敬訪問レポート⑩【和歌山県串本町 「樫野埼灯台」「潮岬灯台」】

2018/10/17

こんにちは、日本ロマンチスト協会です。 ついに!   恋する灯台認定行脚 第10弾、つまり今年度最後の認定灯台への表敬訪問です。   場所は和歌山県串本町、灯台は「樫野埼灯台」「潮岬灯台」となります。   本州最南端のまち、串本町。   実は、日本ロマンチスト協会の波房会長にとって、串本町は個人的にも思い入れのある町です。   それはなぜか。   その意味をひも解くためにも、認定理由を振り返りたいと思います。   【和歌山県東牟婁郡串本町「樫野埼灯台」認定理由】 日本最初の石造灯台で、螺旋階段を上れば南紀の美しい海が広がり、冬には、建設に携わったイギリス人が故郷を想って植えたと伝わる水仙が甘い香りを漂わせる。樫野崎では1890年にエルトゥールル号遭難事故が起きており、遭難した船乗りたちは灯台の光を目指したという。故郷から遠い地で灯台を造った人がいて、その灯台に救われた異国の人がいる。不思議なドラマが生まれた場所に立てば、愛する人との絆を大切に思う気持ちが強まるだろう。   【和歌山県東牟婁郡串本町「潮岬灯台」認定理由】 本州最南端となる紀伊半島南端の断崖に立つ白亜の灯台。灯台から望む風景は、海原の美しさと地球の丸みを実感できる大パノラマだ。美しい夕日も魅力で、水平線に沈むオレンジ色の太陽と、紫色の闇に溶けていく灯台は幻想的だ。また、潮岬は「台風銀座」とも呼ばれ、日本屈指の台風の通り道でもある。恋を乱す嵐が吹き荒れた時でも、荒波と強風の中に立つ灯台を思えば、苦難を乗り越えられる自信が湧いてくるだろう。   そうなんです。 このまちは、映画「海難1890年」の舞台であり、あのトルコと日本の架け橋となった、エルトゥールル号遭難事件の舞台でもあるんです。 この歴史的事実は、日本人として当時の串本町の方々を誇りに思うところです。   とにもかくも、海上の難所てあるこの場所に、屹立する白亜の2基の灯台! 「この立ち姿だけでも敬意を表するに値する」と熱く語る波房会長。   本州最南端は伊達じゃない。 地球は丸い、それを実感できる大パノラマ!   潮岬灯台は灯台として文句なく一線級! ブラントン灯台の名に恥じない素晴らしい佇まい!! そして樫野埼灯台は、 まさに、エルトゥールル号の遭難者が 最初に助けを求め救助された場所。 官舎がきちんと残され、偉業を伝えています。 歴史好きな一面を持つ波房会長は、「いつかこのまちを訪れたい、その願いが叶った・・・」と熱く言います。   そんな万感の想いを込めて、串本町長を表敬訪問。 熱い想いをぶつけると、 串本町長から、 「かつて150年前、この地に灯台が築かれ その灯台がたくさんのトルコ人を救い、 トルコと日本の友情と絆になった。 そのような灯台だからこそ、 愛し合う男女の絆を深めるチカラが 宿っており、恋する灯台にふさわしい!」 と力強いコメントをいただき、さらに「恋する灯台を地元で盛り上げる」と話してくれたこともあり、波房会長も大いに感激。   さらにサプライズで、 トルコと串本町の友好の絆の証であるマークが刻まれた特別なピンバッチをいただきました。   当然、簡単に手に入るものではありません。 感動、感激、感謝です。   また串本町は、マリンアクティビティが充実している地域です。 「今度はゆっくりとプライベートで訪れたいね」と波房会長。   素晴らしき出会いに感謝しつつ、ついに10箇所の表敬訪問を終えることができました。   そして波房会長は、灯台が光を指し示す大海を見つめ、見えない誰かに向かって言葉を紡ぎます。   「2018年度の恋する灯台認定行脚は終わった。 しかし、10月20日から恋する灯台キャンペーンが始まる。 素晴らしき日本の海と灯台、 素晴らしき地域の海の文化と物語。   それは海からみた日本史。   素晴らしき灯台との出会いは、 素晴らしき日本の海文化との出会いそのもの! ますます面白い灯台!! さぁ、盛り上げていくぞ。   Be romantic!!」   波房会長、誰も見てない海に向かっていつものキメ台詞を叫ぶ波房会長は今日も平常運転。   さぁ、恋する灯台プロジェクト、キャンペーンもがんばります!