希少な史料や専門家による解説も! 灯台ファンの集い「灯台フォーラム」第18回がオンライン開催
2021/07/27年に一度、全国の灯台ファンが一堂に会し、灯台を文化的・歴史的・美的観点から楽しみ、情報交換しながら学びを深める「灯台フォーラム」。
元灯台守や海上保安部、灯台研究者など様々な専門家を招いての基調講演をはじめ、参加者同士で灯台の将来を考えるシンポジウム的な要素もあり、2021年7月10日の開催で18回目を迎えました。2020年の第17回に続き、今回も感染拡大防止のためにオンラインでの開催となりましたが、各地から灯台ファンが参加。基調講演では愛媛県伊方町の「佐田岬灯台」が取り上げられました。講演をしてくださったのは、伊方町 町見郷土館館長 兼 主任学芸員の高嶋賢二さん。四国の西端に突き出した佐田岬半島の先端に建つ「佐田岬灯台」がどのようにしてできたのか、またその文化的・歴史的な価値についてお話しいただきました。佐田岬灯台ができたのは大正時代の1917年。佐田岬半島は大分県の佐賀関半島とつながるような形をしていて、それらに挟まれた豊予海峡は「速吸瀬戸(はやすいのせと)」とも呼ばれるほど潮の流れが速く、危険な海域でした。
高嶋さんの調査によれば、明治時代には灯台建造の要望が出され、また政府も優先的な建造を検討していたのだそう。既に稼働していた対岸・佐賀関半島の「関埼灯台」からレンズを移設して建造されました。当時、佐田岬灯台の建設に奔走していた人々の手記が燈光会の会誌『燈光』にも残されており、竣工時の喜びに満ちた記録も。こうして完成した佐田岬灯台は、鉄筋コンクリート造。鉄筋コンクリートによる建築は1923年に起きた関東大震災以降に普及したため、佐田岬の着工時にはまだ珍しく、現在ではその建造物としての価値も非常に高いものとされており、2017年には四国にある現役灯台として初めて国の登録有形文化財にも指定されています。また、灯台の姿が少しずつ変化している点にも着目。灯台守が日常を過ごすためのスペースや、灯台守の仕事に気象観測業務が加わったために増築された部分がわかります。さらに電気が通る前から灯台が存在し、光源に燃料を使用していた証でもある「冠蓋(かんがい)」など、灯台の姿からはその灯台が歩んできた歴史を読み解くこともできます。
佐田岬半島と佐賀関半島はフェリーで行き来でき、それぞれの灯台を海から眺めることも可能。近隣の資料館には灯台に関する展示もあるので、観光にもピッタリだそう。自由に行き来ができるようになったら、ぜひ訪れていただきたいと講演を締めくくりました。
第二部は、本フォーラムの主催者でありフリーペーパー「灯台どうだい?」編集長の不動まゆうさんと灯台女子・平塚瑤子さんによるミニトーク「コロナ禍での灯台の楽しみ方」。平塚さんは「灯台守の手記を読むのがブーム」とのことで、オンライン古書店や図書館のデジタルコレクションを駆使して当時の灯台守の手記や灯台にまつわる書物を読んでいるのだそう。また、「また灯台で過ごすことができるようになったら、そこで弾きたい」と練習しているウクレレも披露! 外出自粛が続く中、灯台を見に行くことができないという灯台ファンのために、自宅でも灯台を身近に感じて楽しむためのさまざまな方法が共有されました。
参加者の中には、実際に灯台の保存活動や観光活用に取り組んでいるという人も。各自の取り組みについて積極的に発信する場面も見られ、航路標識として海の安全を守るという本来の役割に加えて、人々が訪れて楽しむ場所として、また街のシンボルとして、灯台に新たな価値を見出そうとする動きを感じられるフォーラムとなりました。
取材:藤堂真衣