個人上陸不可!東京湾の海上要塞にたたずむ「激レア灯台」訪問記

2024/08/23

日本全国に約3000基ある灯台の中には、個人では近付けないような場所に建てられているものも複数存在します。

そのひとつが、東京湾の海上要塞跡に立つ「第二海堡灯台」。

安全性の問題から関係者以外の立ち入り(=個人の上陸)は禁止されていますが、2019年から旅行代理店主催のツアーに限り一般の上陸・見学が許可されています。

今回はクラブツーリズム株式会社の協力を得て、「海と灯台プロジェクト」事務局スタッフが見学ツアーに参加してきました。

■まずは横須賀市の「千代ヶ崎砲台跡」へ


今回参加したツアーは、東京湾要塞を構成する2つの砲台を巡る日帰りツアー。まずは国の史跡に指定されている横須賀市の千代ヶ崎砲台跡を訪ね、東京湾要塞とは何ぞや?から学びます。

世界の列強国が強大な軍事力を背景に競って植民地獲得に乗り出した19世紀。明治政府は国防強化の必要性を感じ、海岸線を守るための要塞を各地に建設します。


※千代ヶ崎砲台跡の展示パネルより

このうち、首都東京と横須賀軍港の防御を目的に建設されたのが、32カ所の砲台群からなる「東京湾要塞」です。


※千代ヶ崎砲台跡の展示パネルより

千代ヶ崎砲台跡は、東京湾要塞を構成していた砲台の中でも保存状態が良く、当時の軍事・築城技術を今に伝えていることから、2015年に史跡に指定されました。

28cm榴弾砲6門を備え、東京湾内湾に進む船が必ず通る「浦賀水道」ににらみを利かせていた千代ヶ崎砲台。

完成から130年近く経った今も、石とレンガ、無筋コンクリートで作られた構造物がほぼ当時のままに残っており、いかに頑丈に作られたかが分かります。列強国の脅威をひしひしと感じていた当時の情勢が伝わってくるようです。

■いよいよ第二海堡へ


千代ヶ崎砲台跡を後にし、このツアーのために運行されるフェリーで横須賀市の三笠ターミナルから東京湾第二海堡に向かいます。

第二海堡は、「へ」の形をした人工島。水深8~12mの海底に船から石を落として基礎を築くところから始まり、作業員のべ50万人・総工費79万円(一説には現在の価値で50億円)を投じて建設されました。

なぜそんな大変な思いをしてまで建設する必要があったのでしょうか。それは、防衛上の空白地帯をなくすため

浦賀水道の最も狭い部分は、房総半島の富津岬と三浦半島の観音崎の間、約7km。当時の大砲の射程距離は約3kmだったため、浦賀水道の両岸に砲台を設置しただけでは、真ん中に約1kmの空白地帯が生じます。そこで、大砲が届かない空白地帯をなくすため、海中砲台が必要になったというわけです。天然の島「猿島」全体を要塞化して砲台を築いたほか、第一海堡から第三海堡まで3つの人工島が築かれました。

現在、第一海堡は一般の立ち入り禁止、第三海堡は暗礁化していたため既に取り壊されており、ツアー限定の条件付きながら一般の人が上陸できるのは第二海堡のみとなっています。

紆余曲折ありながら太平洋戦争終結まで軍事施設として使われた第二海堡。砂に埋まったり崩壊したりしている部分も少なくありませんが、レンガとコンクリートで作られたトンネル状の施設「掩蔽壕(えんぺいごう)」をはじめ、当時をしのばせる軍事遺構が島全体に点在しています。

■ついに第二海堡灯台と対面!


さて、個人では行くことができない激レア灯台「第二海堡灯台」はどこにあるかというと、軍事遺構である加農(カノン)砲の砲塔があった場所にそびえています。荒涼感のある良い景色。

写真で見るととても高い場所にあるように見えますが、ぐるりと反対側に回ると灯台の足元に近付くことができます。

真っ白な塔体が青空に映えますね。もちろん、第二海堡に向かうフェリーの中からもずっと見えていました。

さて、現在の第二海堡灯台は1983年に建てられた4代目で、繊維強化プラスチック(FRP)製。

初点灯は1894(明治27)年9月。第二海堡の軍用施設が完成するよりも前に、灯台よりも小型の施設「燈竿(とうかん)」として設置されました。その後、1920(大正9)年に灯台に改築。その後2度建て替えられて現在に至ります。かつては灯台守が常駐していましたが、1992(平成4)年から遠隔で監視できるようになったため、今は無人です。

灯台を灯すための電気は、灯台のそばに設置されたソーラーパネルから供給されています。

■第二海堡灯台の役目とは


太平洋戦争終結とともに第二海堡が軍事施設としての役目を終えた後も点灯し続け、今なお現役で活躍する第二海堡灯台。浦賀水道を航行する船にとって、どんな役目を果たしているのでしょうか。

第二海堡の案内をしてくれたガイドさんが、その答えを教えてくれました。

東京湾内湾への通り道である浦賀水道は、西側(三浦半島側)の水深が深く、東側(房総半島側)は浅いという特徴があります。そのため、東京湾を出入りする船は必ず第二海堡の西側、浦賀水道の三浦半島寄りを航行するように定められています。

そのため、東京湾に入る船は第二海堡灯台が右手に、東京湾を出る船は第二海堡灯台が左手に見えていれば正しい航路を航行していることになります。もし反対の向きに見えていたら、座礁の危険がある浅い海域を誤って航行していることになるため、第二海堡灯台は重要な目印になっています。夜は、水深の浅い東側にだけ赤い光を、他の方位には白い光を放っているため、光の色で正しい航路を進んでいるかそうでないかを教えてくれているそうです。なるほど。

東京湾は、貨物船やタンカーなど毎日500隻もの船舶が行き来する世界有数の「海上交通過密海域」。

かつて、東京湾への外国船の侵入を防ぐ目的で建造された軍事施設に立つ灯台が、今は世界じゅうからやってくる船の安全な航行を見守り続けています。

文・写真 佐々木康弘

取材協力

クラブ・ツーリズム株式会社

一般社団法人 東京湾海堡ツーリズム機構

横須賀市教育委員会