グローカルのシンボル・灯台
2025/05/27
本稿は、「海と灯台学」2024年度研究紀要「海と灯台学ジャーナル 創刊準備号」内の特集「海と灯台学を捉える視点〜世界・日本・地域〜 Part.1 価値の再発見」からの転載です。
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グローカルのシンボル・灯台
池ノ上 真一(北海商科大学 一般社団法人日本海洋文化総合研究所)
はじめに
灯台を学術的に捉えるアプローチは限られており、その多くが建築学の観点からなされてきた。近代灯台の研究として、藤岡洋保氏は「灯台の父」と称されるリチャード・ヘンリー・ブラントンをはじめとした灯台技術者に焦点を当て、谷川竜一氏は東アジアの近代建築史の中で、灯台を近代化と地域の関係性から位置づけている。両者の共通点は、近代灯台を建築遺産として捉える視点である。建築史において、近代から現代にかけての発展は、西洋建築の導入と日本の伝統的様式の融合を経て、現在の在来工法へと進展してきた。西洋建築は富国強兵政策のもと積極的に導入されたが、日本の気候や生活様式に適応し、独自の発展を遂げた。現代の日本の住宅が洋室と和室を併せ持つように、建築史は単純な移植ではなく、地域特性との融合による発展の過程である。
この流れを灯台に当てはめると、近代灯台の導入がどのようなプロセスを経たのかが重要な問いとなる。藤岡氏や谷川氏の研究が示すのは、灯台が単なる西洋建築の移植ではなく、技術や材料が地域特性と結びつき、独自の形へ変化していった点である。近代灯台は、当初は西洋技術を忠実に取り入れたが、次第に日本の環境に適応し、独自の建築様式を確立した。さらに、近年では観光資源や文化遺産としての再評価が進み、灯台の新たな価値が模索されている。
このように、近代灯台の導入プロセスを紐解くことは、建築史の探究にとどまらず、現代における灯台の役割や将来の展望を考える上でも重要である。灯台は単なる航路標識から、地域文化の象徴や観光資源としての価値を持つ存在へと変化しつつある。この変化を理解するためにも、近代灯台の歴史的意義を丁寧に分析し、その価値を明確にすることが求められる。
日本の灯台ナラティブ
①世界とのつながり
現在見ることができる灯台は、多様な形状や機能、立地、建材を持つが、それには歴史的背景がある。石丸(2025)の「日本の灯台の価値を可視化する建造物編」によると、灯台の発展は時間軸に沿って分類される。
「西洋灯台導入期(1869〜1876年)」では、日本の開国後、ヨーロッパの技術が導入され、お雇い外国人の指導のもと九州北部・瀬戸内海・関東を中心に灯台が建設された。木造・煉瓦造・石造・鉄造・混構造の5種類が用いられた。
「日本主導整備期(1877〜1923年)」では、日本人技術者が灯台建設を担い、日本海側や北海道へ建設が進むとともに、耐火性・施工性に優れたコンクリートの採用が始まった。
「防災型創出期(1924〜1945年)」では、関東大震災や戦争により多くの灯台が倒壊し、再建時にはほぼコンクリート造が採用されたが、塩害対策や施工上の課題が多かった。
「防災型の普及期(1946年〜)」では、戦後の再整備により新設・建て替えともにコンクリート造が標準化され、構造的多様性は減少したが、近年ではデザイン灯台の導入など新たな展開も見られる。
この時間軸を基に、灯台の建材と構造の発展が明らかになる。また、星野(2025)の「日本の灯台の灯器(光源)の変遷」によると、灯台独自の技術や建築意匠も分類可能である。しかし、これらの分類だけでは説明しきれない要素もあり、次に日本の海洋文化との関係性について考察する(図1)。
図1.林匡宏 世界とのつながり 2024 イラスト