海から見た牛窓の景観 ― 古墳・寺院・燈籠堂 ―
2025/06/06
本稿は、「海と灯台学」2024年度研究紀要「海と灯台学ジャーナル 創刊準備号」内の特集「海と灯台学を捉える視点〜世界・日本・地域〜 Part.1 価値の再発見」からの転載です。
※「海と灯台学」について詳しくはこちら
海から見た牛窓の景観 ― 古墳・寺院・燈籠堂 ―
石村 智(国立文化財機構 東京文化財研究所)
瀬戸内海に面した牛窓(岡山県瀬戸内市)は「日本のエーゲ海」と呼ばれる風光明媚な地である。港町のノスタルジックな街並みや、美しい砂浜の海岸、さらには高台にあるオリーブ園から眺めた多島海の光景が、訪れた人々を魅了している。オリーブ園の展望台の側には「幸福の鐘」があって3回鳴らすと幸せになると言われており、「恋人の聖地」に認定されている。さらに沖合に浮かぶ黒島では、干潮時に小島との間を結ぶ「黒島ヴィーナスロード」と呼ばれる砂州の道が出現し、恋人たちのパワースポットと言われているそうだ。
このように美しい見どころが多い牛窓であるが、私はもうひとつの牛窓の見どころとして「海から見た景観」をおすすめしたい。
こちらに1枚の写真がある(図1)。これは牛窓の沖合で、シーカヤックを漕ぎながら私自身が撮ったものである。
図1.海から見た牛窓の景観
この1枚の写真に、牛窓天神山古墳、本蓮寺、牛窓燈籠堂という、それぞれ古代、中世、近世にさかのぼるモニュメントが写っている。この写真は牛窓の歴史的な価値を端的に示しているのに加え、ここが瀬戸内海の海上交通の要衝として存在してきたことをよく表している。
1.牛窓天神山古墳
牛窓天神山古墳は全長85メートルの前方後円墳で、古墳時代前期後半(四世紀中葉〜後半)に築造されたと推定されている。現在は木々に覆われているため外から見るとその様子は分かりにくいが、作られた当時は木々もなく、またその墳丘の表面は葺石で覆われていたので、太陽の光を反射して白く輝く人工的なモニュメントとしての姿を見せていたことだろう。
この古墳が築かれた時代には、同じように瀬戸内海や日本海の沿岸地域で海際に大型の前方後円墳が数多く作られており、例えば明石海峡の近くには五色塚古墳(兵庫県神戸市)、丹後半島には神明山(しんめいやま)古墳・網野銚子山古墳(京都府京丹後市)が作られた。こうした古墳は、単に地域の有力者の墓というだけではなく、沿岸を航海する船が、航海の目標にするためのランドマークとしての役割を果たしていたのではないかと推測されている。
さらに日本最古の詩集として奈良時代の8世紀後半に成立した『万葉集』には、柿本人麻呂作とされる牛窓の情景を詠んだ歌が収録されている。
牛窓の波のしほさい島とよみ 寄そりし君は逢はずかもあらむ(巻十一 二七三一)(牛窓の波の潮騒が島を響かせるように、私との噂がたっていたあの人は私に逢いに来てはくださらないのでしょうか)
2.本蓮寺
中世になると本蓮寺が建立された。1347(正平2)年に京都妙顕寺の大覚大僧正によって開かれたと伝えられており、今日では室町時代の1492(明応元)年に建立された本堂、番神堂、中門が国指定の重要文化財として、1690(元禄3)年に建立された三重塔が県指定の重要文化財として、それぞれ残されている。
江戸時代になると、牛窓は朝鮮通信使の寄港地とされ、本蓮寺は使節の逗留する場所として指定された。ここで使節の一行は岡山藩からの接待を受けたという。瀬戸内海を船でやってきた使節の一行にとって、三重塔を頂いた本蓮寺はまさに港町で最も目に付くモニュメントであったことだろう。
3.牛窓燈籠堂
江戸時代には牛窓は北前船の寄港地ともなり、風待ちの港、潮待ちの港として利用された。瀬戸内海は潮流が激しく複雑な動きをする海であるため、とりわけ潮待ちは航海にとって必要な要素であった。
牛窓燈籠堂は江戸時代の延宝年間(1673〜1681)に夜間の航海の標識として、備前藩主池田綱政の命によって建設された。牛窓の港と、その対岸にある大島との間にある狭い海峡は「唐琴の瀬戸」と呼ばれており、それを臨む牛窓側の、岬の突端の岩盤上に石積みの基壇が築かれ、その上に木造の燈籠堂が建てられた。なお燈籠堂は明治時代に取り壊されたが、現在では1988(昭和63)年に復元されたものを見ることが出来る。
燈籠堂は現代の灯台に相当する。江戸時代には北前船による海上交通が活発となり、それにともなって各地の港町にはこうした燈籠堂や常夜灯が設置された。とりわけ「唐琴の瀬戸」は最も狭い部分で幅が300メートルほどしかなく、また海底は凸凹した岩礁となっており、さらには潮流も速く大潮の時には渦潮が出来ることもあるという。そのためこの燈籠堂は安全な航海のために必要不可欠なものだったことだろう。なお今日では、「唐琴の瀬戸」の対岸の大島側に、城ヶ鼻灯台(牛窓港灯台)が設置されている。
このように牛窓には、古代、中世、近世のそれぞれの時代に航路標識となるモニュメントが建てられたのである。それはこの牛窓が時代を通じて重要な港として機能してきたことを示している。
さらに重要なことは、牛窓をはじめとする港町の景観は、海から眺めることを前提として形成されているということである。そこには、航海の目標としての実用的な機能だけではなく、港町の美しさを見せるための美的な機能も意識されていたことだろう。
港町としての牛窓の魅力を感じるために、みなさんにも是非一度、海から見た景観を眺めて頂くことをおすすめしたい。
執筆者紹介

石村 智(1976年6月22日)
■ 出身地:兵庫県伊丹市
■ 所属:国立文化財機構東京文化財研究所 無形文化遺産部部長
■ 学位:博士(文学)
■ 専門:無形文化遺産、考古学
国内外において無形文化遺産の保護に資する研究に従事。また海の文化遺産についても造詣が深く、ミクロネシア連邦ナンマトル遺跡の世界遺産登録(2016年)にも携わった。
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