灯台の足下から見える地球の記憶と地域の歴史

2025/06/19

本稿は、「海と灯台学」2024年度研究紀要「海と灯台学ジャーナル 創刊準備号」内の特集「海と灯台学を捉える視点〜世界・日本・地域〜 Part.1 価値の再発見」からの転載です。
※「海と灯台学」について詳しくはこちら


灯台の足下から見える地球の記憶と地域の歴史

栗原 憲一(株式会社ジオ・ラボ 一般社団法人日本海洋文化総合研究所)

はじめに

「海と灯台プロジェクト」は、灯台を中心とした地域の海に関する記憶を掘り起こし、地域同士や日本と世界をつなぐ新たな海洋体験を創造する取り組みである。特に異分野・異業種との連携を視野に入れた活動を進めていくためには、灯台とその周辺地域を多様な学術的視点から整理・検討することが重要となる。そして、その成果を「地域のストーリー」として発信することで、地域振興や観光産業の活性化に寄与できることが期待される。

灯台は航路標識としての機能を担う一方、建築物や地域文化のシンボルとしても長い歴史をもってきた(例えば、海上保安庁、2018)。日本には多くの灯台が存在し、それぞれが置かれた自然環境や歴史的背景は多様である。なかでも“海の難所” と呼ばれる場所に設置された灯台は、地形や海流、気象などに特徴があるだけでなく、海難事故や地域伝承など、地元の人々に深く根付いた歴史や文化とも密接につながっている。したがって、灯台の足元にある地質・地形的特徴と、その周辺で育まれてきた地域の歴史との関連をひもとくことは、新たな視点でプロジェクトを推進していく上で大いに意義があると考えられる。

そこで本稿では、千葉県銚子市の犬吠埼灯台を事例として、灯台の足元に存在する地質・地形学的特徴を明らかにし、地域の歴史とのつながりを概観することで、新たな「地域のストーリー」を構築するための基礎的検討を行う。


千葉県銚子市における犬吠埼灯台の事例

銚子市は、江戸の豪商であった鈴木金兵衛(俳号:古帳庵)が詠んだ句「ほととぎす 銚子は国のとっぱずれ」でも知られるように、関東平野の東端に位置し、太平洋に突き出した半島部を有する地理的特徴を持つ。北側には利根川、東側・南側には太平洋が広がり、三方を水域に囲まれた特有の景観が見られる。その半島突端部に設置されているのが犬吠埼灯台である(図1)。

半島の突端部に建つ犬吠埼灯台は、1872(明治5)年に着工し、1874(明治7)年に初点灯した西洋式灯台である。建設を指揮したのは、イギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンであり、近代日本における灯台建設の黎明期を象徴する貴重な建造物といえる。地震の多い日本で、当時先進的とされた煉瓦造塔の構造技術が導入された点も特筆に値し、今日では国の重要文化財に指定されている。灯台が持つ歴史的価値と工学的価値は広く認知されているが、本研究ではさらに裾野を広げ、灯台の足元に注目することで、地球の長い時間スケールによって作り出された地形や地質の成り立ち、そしてそこに根付いた地域の歩みをひもとく。


1.犬吠埼灯台周辺の地質

犬吠埼灯台が建つ岬には、約1億年前の白亜紀に堆積した浅海成の地層が露出する。アンモナイトなどの貴重な化石が産出し、当時の海洋環境や生物相を研究するうえで極めて重要な資料となっている。こうした学術的意義が認められ、「犬吠埼の白亜紀浅海堆積物」として国の天然記念物にも指定されている。

この地層は「銚子石」と呼ばれ、江戸時代には利根川水運を通じて江戸へ運搬され、建材や石材として利用された歴史をもつ。犬吠埼灯台の直下には、かつて石材を切り出した採石場跡が残されており(図1)、経済的にも文化的にも重要な資源であったことがうかがえる。


図1.犬吠埼灯台と足元にある地質・地形的特徴

この1億年前の地層は、銚子半島の突端部だけに局所的に分布している(図2)。本来は地中深くにあるはずの地層が、大地(プレート)の動きによって局所的に押し上げられた結果である(図3)。さらに、この地層は周囲に比べて硬いため、差別侵食の結果として堅固な部分だけが露出し、岩礁を形成している(図1)。


図2.犬吠埼灯台のある千葉県銚子地域の地形(陰影図)と地質。色のついている部分は、中生代(約1億年前)の地層で、銚子半島の突端にしか分布していない


図3.関東地方の東西断面図(銚子資産活用協議会編,2023:原図は,貝塚ほか(1985)を改変)