灯台の足下から見える地球の記憶と地域の歴史
2025/06/19
2.“海の難所”としての地域の歴史
前述のように、関東最東端の半島に位置する銚子市の沿岸では、周辺に比べて固い白亜紀の地層が突端部にだけ露出し、岩礁を形成している。加えて、利根川の河口付近は河川水と北東からの強風が衝突するため、しばしば三角波が発生し、古くから“海の難所” として知られてきた(銚子資産活用協議会、2023)。
たとえば1614(慶長19)年には、出航中の漁船が波風にのまれ、1000名を超える溺死者が出たと伝えられている。その供養のために建立された石碑が現在も残されており、地域の人々が海との厳しい関わりの中で暮らしてきたことを伝えている(図4)。
図4.犠牲者たちを供養する石碑(千人塚)
3.自然の恵みと生物多様性
銚子のもう一つの大きな特徴は、豊かな漁場を抱えることである。太平洋に突き出た半島地形の沖合では、南から北上する暖流(黒潮)と、北海道・三陸沖を南下する寒流(親潮)が衝突し、混合水域を形成している(図5)。寒流は栄養塩に富み、暖流は温かい海水と多様な海洋生物を運ぶため、両者が交わる銚子沖は全国屈指の漁場として繁栄してきた。
図5.銚子沖の混合水域
この豊かな漁場は、単に水産物の供給源となるだけでなく、多くの海鳥や海棲哺乳類にとっても重要な生息環境を提供する。銚子市鳥類目録(桑原ほか、2006)によれば、犬吠埼周辺では150種以上の鳥類が確認されており、貴重な生物多様性が保たれていることが示唆される。陸と海の境界である海岸域は、栄養豊富な河川水や潮目の影響が大きく、さまざまな生態系が複雑に絡み合う場でもある。銚子では、このような恵まれた自然環境と地域の漁業・観光産業が結びつき、独自の文化を育んできた点も見逃せない。
灯台の足元から見える地球の記憶と地域の歴史
本稿では、千葉県銚子市にある犬吠埼灯台を取り上げ、灯台の足元に広がる地質・地形的特徴を整理するとともに、それらに関わる地域の歴史や自然を概観した。
犬吠埼灯台の足元には、約1億前の地球の歴史を物語る地層が広がり、その地形的特徴から海の難所として人々の暮らしや歴史に深く関与してきた側面がある。一見すると灯台という単独の建築物に注目しがちだが、足元の地質・地形的特徴にも着目することで、灯台と地域の歴史、さらには地球規模の時間的・空間的つながりを意識することができる。
銚子という地域全体を見渡した場合、岩礁が形成されるほど硬い地層の露出や強烈な三角波が生じる海域がある一方、暖流と寒流が交わることで栄養豊富な漁場が発達し、豊かな生態系が育まれている。つまり、地形的・地質的な“厳しさ” と“恵み” とが表裏一体となり、長い年月を通じて地域の特色や人々の営みに影響を与えてきたといえるだろう。
こうした観点は「海と灯台プロジェクト」をさらに深めるうえでも有益である。灯台を単なる観光スポットやインフラストラクチャーの一部として捉えるのだけではなく、地球環境の移り変わりや人々の生活史を重層的に映し出す存在として理解し、そこから「新たな地域のストーリー」を創出することが可能になる。
今後は、犬吠埼灯台のみならず、全国各地の灯台や海岸地域において、地質・地形学的特徴と地域史を結びつける試みが増えていくことが期待される。これにより、観光や教育、さらには地域コミュニティの活性化につながる多様なアプローチが展開され、海辺の風景や文化の保全・継承にも新たな光が当てられるだろう。
引用文献
・銚子資産協議会編(2023)「海×風×大地 ときどき私 15の物語とともに銚子を歩く」。銚子資産活用協議会、102p
・貝塚爽平・成瀬 洋・太田陽子(1985)「日本の自然4。日本の平野と海岸」。岩波書店、236p
・海上保安庁(2018)「海を照らして150年〜航路標識の歴史と現在〜」。海上保安庁、14p
・桑原和之・三沢博志・箕輪義隆ほか(2006)銚子市鳥類目録。我孫子市鳥の博物館調査研究報告、14、71–147
執筆者紹介
栗原 憲一(1979年2月6日)
■ 出身地:東京都多摩市
■ 所属:株式会社ジオ・ラボ 代表取締役
■ 学位:博士(理学)
■ 専門:層位・古生物学、博物館学(教育・展示)、科学コミュニケーション、ジオパーク
2003〜2015 年まで三笠市立博物館で学芸員(古生物学)、2015〜2019 年まで北海道博物
館で学芸員(博物館学)。2019 年に株式会社ジオ・ラボを設立。“展示”を軸にした地域の様々なストーリーを掘り起こす活動を展開している。
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