リスクと灯台
2025/06/26
本稿は、「海と灯台学」2024年度研究紀要「海と灯台学ジャーナル 創刊準備号」内の特集「海と灯台学を捉える視点〜世界・日本・地域〜 Part.1 価値の再発見」からの転載です。
※「海と灯台学」について詳しくはこちら
リスクと灯台
内田 正洋(海洋ジャーナリスト)
世の中には、手漕ぎの小さな舟で海を旅している人たちが大勢いる。21世紀前半の今、のことである。手漕ぎの舟で海を旅する。なんとも酔狂な連中だと思われるかもしれないが、日本にも数千人、いやいや、もう万単位になっているかもしれない。世界に目を向ければ数十万人どころじゃない。もっとも盛んな北米には数百万もの人たちが海や湖を漕いで楽しんでいる。
彼らが使うその小舟、カヤックと呼ばれる。特に海を旅するためのカヤックは、シーカヤックやツーリングカヤックとも呼ばれ、すでに日本にも50万艇ほどが保有されているはずで、日常的に旅を楽しんでいる人がもう数万単位になっているだろう、ということだ。
そんなカヤックによる海を旅する活動が始まったのは、日本では1987(昭和62)年のこと。すでに38年の歳月が流れたが、その始まりから海を旅しているのが私(ここはワシと読んでほしいが)である。何しろそれを仕事にしてしまい、海を旅しながら報告を書くことを生業にしてきた。肩書きとしては海洋ジャーナリストと今も自称している。
シーカヤックで海を旅することは、英語ではシーカヤッキングと呼ばれている。しかし、日本語には「旅」という含蓄のある言葉があるため、私らはシーカヤッキングを「海旅」と呼んでいる。
「旅」には「賜ぶ(たぶ)」という意味がある。自然から何かを賜るという含意だ。何かを食することもやはり「食ぶ(たぶ)」である。食べ物は自然からの賜り物であるから分かりやすい。「たびたまう」という言葉もある。「賜び給う」と書き、お与えくださるという意味の尊敬語だと辞書には載っている。
なので、旅というのは、自然が私らに何かを与えてくださるという意味でもあり、旅をすることで私らはいつも何かを自然から頂いているということになる。旅とは、実はそんな活動のことなのである。
カヤックという小舟は、数千年前から使われている。人類にとってはまだ初期段階の舟である。研究者によっては1万年前から、という者もいる。しかも極北地方の沿岸で使われてきた。アラスカやアリューシャン列島、グリーンランドといった地域だ。
構造はというと、細い木を組み合わせて骨組みを作り、その上に海洋ほ乳類の革を被せ、外科手術のレベルで革を縫い上げてある。とてつもなく精巧な作りで、20世紀初頭まで極北の海で使用されていた。移動用でもあったが、主に漁猟用の道具だった。
カヤックには人が乗り込むための穴が開けてあり、そこに下半身を入れて腰の上あたりに防水のカバーを着用して穴を塞ぐと、人とカヤックは一体化するようになっている。下半身がカヤックのカタチをした水上動物のような、さながら「海のケンタウロス」といった風情になると英語圏ではよくいわれる。ギリシャ神話の、あのケンタウロスである。
下半身がカヤックになった人たちは、水上世界を自由自在に動き回ることができる。現在のカヤックは、プラスチックで成形されており、革張りのカヤックとは違い工業製品として売られている。シーカヤックは本来のカヤックにもっとも近い。人が乗り込むところはコックピットと呼ばれ、前後にはハッチがあり、そこに旅をするための野営道具や食料、水などが入るようになっている。ハッチのある空間は水密になっており、転覆して人が脱出してもカヤック自体は沈まない。転覆しても脱出しないで起き上がる術もあるし、沈まない舟ほど安全な舟はないから、世界中に今も拡がり続けている。