リスクと灯台
2025/06/26
ということで、やたらと前置きが長くなったが、本稿はそのカヤックから見る灯台の話である。しかもリスクと灯台である。
カヤックの旅は沿岸を往くことが、ほとんどだ。陸に近い海を旅している。特に陸側に自然の海岸があるようなところだ。実は、護岸された海岸線には賜るものがあまりない。逆に自然の海岸線には賜るものが多い。この沿岸の海と陸を合わせて沿岸域(コスタルゾーン)と呼び、環境用語として使われる。この沿岸域、実はもっとも生物が多様なゾーンだといわれている。したがって、沿岸域を旅するカヤックは、その多様な生物ゾーンを旅している。夜になると上陸してキャンプである。
ところが、この沿岸域は浅いために波が立ちやすい。砕波帯とも呼ばれ、波が砕けるゾーンである。沖合に行くと深いために波が緩やかになる。そして、その自然海岸の一部には断崖がある。断崖の下には暗礁があることも多い。その断崖に当たる波は常に跳ね返ってくるため、より高い波、クラポチスと呼ばれる三角波が立つ。
実は、この断崖下の暗礁とクラポチスが立つような海を往くことがリスクの語源であることはあまり知られていない。ある時は危険な海を往くこと、それがリスク。リスクという存在を理解した上での行動も含めて、リスクというのである。カヤック旅では、そのリスクを理解し、リスクを取るか取らないか、往くか往かないかの判断をいつもしている。
波がない穏やかな日であればリスクは充分に取れるし、そうじゃない場合は沖合を回るか海に出ない。このリスクを取る、取らないということから保険なる概念が生まれた。当初は、冒険貸借というもので、その後に海上保険が生まれたという歴史がある。冒険貸借が盛んだったのはイタリアだった。
だから、リスクは具体的な場面から来ている。元々はラテン語であり、それ以前のギリシャ語ともいわれている。しかも航海用語であったためリスクが今でも海と関係している。
そして、そのリスクのある場面に存在しているのが灯台だ。多くの灯台は断崖の上にそびえ立っている。つまり灯台の下はリスクなのだ。カヤックから灯台が見えてくると、その下にはリスクが存在していると私たちは理解している。
当然ながら、灯台、つまりライトハウス本来の役割を利用することを私らはあまりしない。夜の断崖下ではリスクが取れないからだ。もちろん防波堤灯台なら利用するが、基本的に夜は移動しないのである。
とはいえ、昼夜をこえて長い海峡を横断する時などは、灯台が放つ光が希望をもたらす。それは船乗りたちがみんな感じることだ。夜の海に灯される光。その光と希望の関係。光を見ると、なぜ人は希望を感じるのか。そこにも灯台の役割がある。光、その本質は素粒子である光子。光子は粒子であり波でもある。まるで水の分子のようでもある。
灯台とは、リスクという存在を教え、光と希望の関係性を教えるシンボルだ。灯台学を構築するには、量子力学と希望という意識との関係性を探る学術分野にも深入りする必要があるような気がする。
今一度、灯台を海から見るという視点を取り戻そう。断崖下にあるリスクの海から灯台を見上げる。そこから灯台学を始める方法もあるんじゃなかろうか。と、カヤッカーからのひとつの提言である。
図1.瀬戸内海日生諸島鹿久居島の南端にある鵜ノ石鼻灯台の下を漕いでいる。日生諸島は、本州からほんのすぐのところに14もの島々が並んでいる。そのうち9島は無人島。架橋されていない有人島が2島。島々の全人口はもう2000人にも満たない。人々が消えていく島々。かつての灯台守たちの悲哀を思い出す。岬の灯台守たちの暮らしを
図2.日本最西端、与那国島西埼灯台の断崖下を往く丸木カヌー。2019年、国立科学博物館が主導した旧石器時代である3万年前の実験航海。台湾から漕ぎ始め与那国島までの225キロを45時間ほどで漕ぎ渡った。黒潮という巨大な海流を横切って。私はこの航海の監督を任されていたが、実はこのゴール直前の断崖下の流れがもっとも手強かった。まさにリスクだった
執筆者紹介
内田 正洋(1956年1月8日)
■ 出身地:長崎県大村市
■ 所属:フリーランス(海洋ジャーナリスト)
■ 学位:水産学士
■ 専門:海洋リテラシー学
1982年〜91年までパリ・ダカールラリーに出場。北南米大陸縦断、ユーラシア大陸横断を経験。台湾〜九州、西表島〜東京湾のシーカヤック遠征。近年では国立科学博物館の「3万年前の航海プロジェクト」に参加。
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