産業遺産研究の論点と灯台
2025/07/16
本稿は、「海と灯台学」2024年度研究紀要「海と灯台学ジャーナル 創刊準備号」内の特集「海と灯台学を捉える視点〜世界・日本・地域〜 Part.2 新たな価値の創造」からの転載です。
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産業遺産研究の論点と灯台
平井 健文(北海道教育大学函館校)
はじめに:産業遺産としての灯台
本稿の趣旨は、産業遺産研究と「海と灯台学」との接点を探ることにある。灯台は産業遺産の1つと見なせるが、両者を横断的に捉えた研究成果はスペインの事例研究(Sánchez-Beitia et al., 2019)など一部に限られる。そこで本稿では、産業遺産研究の蓄積を踏まえて「海と灯台学」の今後の論点を提示し、両者の接合面を探究することを試みる。
産業遺産とは、近代における産業化に関係する遺産全般を指す。産出・生産から輸送、廃棄に至るまでの一連のシステムに加え、その景観や関連する博物館、その産業に由来する「文化的行事」まで、有形・無形の要素にまたがって幅広く捉えられるのが産業遺産の特徴である(Xie, 2015: 44)。たとえば鉱山・炭鉱から工場・倉庫、そして輸送に関わる港湾・鉄道、さらにそれらが織りなす景観や、産業に由来する食文化なども産業遺産に含まれる。加えて、現在も産業的機能を有するものまで「稼働遺産」として範疇に含むのも産業遺産の特徴である。
灯台は、このうち輸送というシステムを支えるものであると同時に、産業的景観でもあり、さらに灯台に由来する地域社会の「文化的行事」も存在する。実際に、日本の重要文化財に指定されている15の灯台すべてが、「近代/産業・交通・土木」という分類になっている(2025年1月現在)(※1)。この分類名は、1993(平成5)年に設定された「近代化遺産」が基であり、文化財行政においても灯台は産業遺産として位置づけられていると言える。
産業遺産研究の論点:社会科学的アプローチから
産業遺産研究は明確なディシプリンではなく、多様な学問的アプローチに基づく諸研究の集合体である。前述のSánchez-Beitia らによる研究は、灯台の構造や歴史的価値の厳密な評価手法を論じるものだが、一方で社会科学的なアプローチも可能である。その中で、特に重要で、かつ灯台に関わると考えられるものを、紙幅の関係上2点に留めて挙げたい。
第1に、価値の表象をめぐるポリティクス(政治性)がある。文化遺産一般に言えることだが、その文化的価値は特定の行為者によって構築されるものであり、そのプロセスにおいては中心的な言説と周縁化される言説の差が生じる(Smith, 2006)。特に産業遺産は、国民国家にとっての近代化・産業化の言説と密接に関わるため、それらと地域住民を含む広範な行為者・関係者の言説に乖離が生じ、結果として前者が優位なものとして表象される事例が見られる。たとえば木村至聖は、長崎県の「軍艦島」(端島)の世界遺産登録にあたり、その価値が「専門的技能を持つエリートたちの試行錯誤と最終的な成功物語」へと収斂していったことを明らかにしている。これは、「働く人々の生活や労働現場」の物語が抜け落ち、「特定の社会集団の文化的シンボルを特権化してしまう思考」が働くという点において、価値の表象をめぐるポリティクスの現れと捉えることができる(木村、2014: 239)。
第2に、産業遺産の価値構築や保存を通した社会的公正の追求がある。このテーマは、近年の欧州で高い関心を集めている(Zhang et al., 2020)。第1の点の裏返しではあるが、産業遺産の価値構築プロセスにおいては、多様な行為者・関係者の言説が包摂され、それが集合的記憶の保持に結びつくこともある。特に産業遺産を有する地域社会は、まさにその産業が「遺産」となることで経済的にも文化的にも大きな影響を受けてきた。一方で、その「遺産化」が地域の記憶を継承し、住民の帰属意識を高める、あるいは仕事を失った労働者が社会とのつながりを取り戻すきっかけになることもある。ここで重要なのは、地域社会の内部における住民層の複数性であり、広範な言説や記憶を包摂するには、その共有可能性という論点が浮かび上がる。これに関しては、「労働」ではなく「生活」の記憶を重視することが、産業遺産の価値の共有可能性を高めることを論じた研究も存在する(平井、2018)。