産業遺産研究の論点と灯台

2025/07/16


産業遺産研究と
「海と灯台学」との接点

ここからは、以上の論点を「海と灯台学」にどう援用できるかを検討する。第1の論点が提起するのは、産業遺産の価値を構築的なものと捉える意義と、価値構築のプロセスにおける権力性を可視化する必要性である。これらを踏まえると、灯台の価値構築を通した「近代」の批判的な再検討という観点を導き出せるだろう。谷川竜一が言うように「灯台を考えるということは、現代社会の基盤形成期である近代を考察すること」(谷川、2016: 5)である。日本における灯台の建設は、西洋からの知識と技術、さらには時間と空間の感覚を導入する、近代的な営みの一環であった。また、灯台は国際的な海洋ネットワークを築く拠点であり、それは時に帝国主義とも結びついた(谷川、2016)。こうした歴史を産業遺産の価値として表象するときに、いかなる言説が選び取られているかを注視する必要がある。それは同時に、周縁化した言説への注意を促すこととなり、それらを総合的に捉えることで産業遺産としての灯台の価値を検証することが可能になる。そしてこのプロセスは、灯台を通して近代史を再検討することへとつながっていく。

第2の論点を踏まえれば、灯台と地域史、あるいは地域社会における集合的記憶の関係性が今後の研究においては重要になる。そこに労働者の記憶、たとえば灯台の建設や維持に関わった人々の記憶や、灯台守の生活などを含むことも必要になるだろう。換言すれば、灯台がこれまで地域社会においていかなる場として認識され、どのような住民層がそこに関わりを持ち、そしてどのような記憶の準拠枠となっているかを丹念に明らかにしていくことが求められる。それは、第1の論点として近代史の再検討、あるいは相対化にもつながることになり、また灯台をめぐる多様な言説や記憶をその保存の実践に包摂していくことにもなる。ただし、住民層の複数性や、価値の共有可能性という観点を踏まえ、特定の言説が特権化することに注意を払い、多くの行為者・関係者が共有できる言説・記憶を焦点化することも求められる。本稿では詳述を避けるが、産業遺産の保存をめぐっては行為者の合意形成という大きな課題が存在する。第2の論点については、この合意形成を進めるための実践的な方法論の提示という可能性も有している。


おわりに

本稿では、産業遺産研究の中でも主に社会科学的なアプローチに基づくものから、主要な論点を提示した上で、それらと「海と灯台学」との接点を探ってきた。前述してきた諸研究は、その背景に社会学、地理学、文化人類学などの学問領域が存在する。産業遺産という観点から灯台を捉えることは、こうした学問領域の広がりの中に灯台を位置づける試みの第一歩にもなるであろう。

(※1)国指定文化財等データベース(https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index)より


引用文献

・平井健文 (2018) 産業遺産保全における「場(milieu)」の象徴性としての「生活」―兵庫県生野鉱山跡の保全の実践を事例に―。地域社会学会年報、30、51-64.
・木村至聖 (2014)「 産業遺産の記憶と表象―「軍艦島」をめぐるポリティクス―」。京都大学学術出版会、272p.
・Sánchez-Beitia, S., Luengas-Carreño, D. and Crespo de Antonio, M. (2019) Characterisation of historical lighthouses as Industrial Heritage elements: Application to the Lighthouse of the Island of Santa Clara (Spain). WIT Transactions on the Built Environment,191, 433-442.
・Smith, L. (2006) Uses of Heritage. Routledge, London, 351p.
・谷川竜一(2016)「灯台から考える海の近代(情報とフィールド科学2)」。京都大学学術出版会、80p.
・Xie, P. F. (2015) Industrial Heritage Tourism. Channel View Publications, Bristol, 254p.
・Zhang, J., Cenci, J., Becue, V., Koutra, S. and Ioakimidis, C. S. (2020) Recent Evolution of Research on Industrial Heritage in Western Europe and China Based on Bibliometric Analysis, Sustainability, 12(13), 5348.


執筆者紹介


平井 健文
(1985年6月26日)
■ 出身地:栃木県宇都宮市
■ 所属:北海道教育大学函館校 講師
■ 学位:博士(観光学)
■ 専門:観光社会学、地域社会学、文化遺産研究

炭鉱・鉱山の遺構を中心とする産業遺産の観光資源化プロセスを研究する。対象地は赤平市(北海道)や朝来市(兵庫県)など。近年は、criticalheritage studies の理論研究や、樺太/サハリンの炭鉱労働者や石炭産業の研究にも取り組む。


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画像:二代歌川国輝(曜斎国輝)「総州銚子港燈台略図」(東京大学総合図書館所蔵)を改変

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