子どもたちの灯台離れも解消 日本海と富山湾の境界に立つ“パンダ灯台” 【富山県黒部市 生地鼻灯台】

2023/03/31

黒部市の生地鼻灯台は、塔高およそ30メートルと富山県内では最も高く、北陸地方でも石川県の舳倉島灯台に次ぐものとなっている。富山湾内を航行する船の目印として1951(昭和26)年に初点灯し、70年以上にわたって海の安全を守ってきた。

11月1日の灯台記念日と同時期には毎年一般公開が行われており、2022年にも地元の人を中心に500人近くの人が、普段は立ち入ることのできない灯台を登り、その上からの景色を楽しんだ。123段もあるらせん階段を、息を切らせながら登った先には、富山湾を一望できる絶景が広がっている。

また、一般公開に合わせて、灯台の下では「ファンタジーIKUJI」と銘打ったイベントも毎年行われている。地元の人気店をはじめとする出店や、DJによるミニコンサートなど様々な催しがあるこのイベントには1500人ほどが訪れ、大いに賑わう。

イベントを企画する「ファンタジーIKUJI実行委員会」の実行委員長、岡島和悦さんは「灯台はこの町のシンボルですし、せっかくだからたくさん人が来るようにならないかという思いを聞いていた」と、地元の人の声がイベント開催のきっかけになったと言う。

1992(平成4)年に灯台が無人化されたことで、地域では子どもの灯台離れが危惧されていたそうだ。1回も灯台に登ったことがない子どもが増える中で、このイベントによって子どもが灯台に関心を持つきっかけが生まれている。

「今となっては登ったことのある子どものほうが多くなったかなというか、地元の子だったら『登ったことあるよ』という声が聞けるようになりました。(イベントの)効果は現れてきたかなと思っています」と岡島さんは語る。

そんな生地鼻灯台を、『等伯』などの作品で知られる直木賞作家の安部龍太郎さんが訪れたのは、文藝春秋社の月刊誌『オール讀物』で企画されていた灯台紀行文の連載に向けての取材が目的だった。安部さんが巡る北陸3県にある4つの灯台のうちの1つが生地鼻灯台なのだ。

生地鼻灯台のそばで生まれ育った黒部観光ガイドの松野均さんを訪ね、幼い頃のエピソードや地元に伝わる歴史などについて案内を受けた阿部さんは、灯台の内部にも足を踏み入れた。

「目が回りそうだ」というらせん階段を登った安部さんは、日本海と富山湾の境界に立つとされる生地鼻灯台の塔上で、松野さんに質問を重ねていく。かつて12世紀頃には一帯が「越之湖」と呼ばれる湖だったと伝えられているが、「ここが一番高くて、ここからずっと昔の湖の名残を残して低い土地になっている」と実際に地形を見ながら松野さんの説明を受けたほか、地震で海底に沈んだ村の伝説などについても話を聞いた。

安部さんは「黒と白の2色の灯台で“パンダ灯台”というニックネームもあるそうですね。実は僕もそれにちなんで黒白2色の服を着てきました(笑)。沖合い900メートルくらいの場所には新治神社というのがあったそうですが、それが水没してしまったという伝承があって、そうした歴史の新しい扉を開く場所としても大変注目しています」と、充分な取材の成果に執筆への意欲を高めていた。安部龍太郎さんによる灯台紀行文は、『オール讀物』の2022年11月号から連載が始まり、生地鼻灯台が登場したのは12月号。直木賞作家の手によって灯台やその地にまつわる歴史などがどのように描写されたのか、ぜひ読んでみてほしい。

 

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