「小中学校の校歌で歌われるほど身近な存在」復興の象徴、灯台の魅力を高めるために【福島県いわき市 塩屋埼灯台】

2022/03/07

2021年11月1日~8日に実施された「海と灯台ウィーク」。灯台と私たちの結びつきを再認識するきっかけともなるこの期間に、全国各地の灯台に縁ある方々の話を伺い「海と灯台学」を編纂する活動が実施されました。今回は、福島県の塩屋埼灯台(いわき市)の歴史や魅力を伝えるべく活動している"とよまの灯台倶楽部”の小野陽洋代表にお話を伺いました。

―塩屋埼灯台に関心を抱いたきっかけをおしえてください。

小野「この場所で生まれ育ち、家の庭先からも塩屋埼灯台の光が見えていたんです。遠足や学校活動で灯台に上るのは定番でした。2002年(平成14年)頃までは霧信号(霧笛)があり、灯台から約2キロ離れた当時の自宅でも音が聞こえ、子守唄のように感じていました。東日本大震災によって3年半ほど豊間の街を離れていましたが、灯台の白い塔と鋭い光にはすごく力強さと恋しさを覚えました。今は地区の復興協議会で情報発信を担当し、2016年(平成28年)から灯台記念日の行事に参加するようになり、地域と灯台をより密接に結びつけることはできないかと考え始めました」

―小野さんにとって塩屋埼灯台はどのような存在ですか?
小野「岬の先端、標高50mの断崖で浜風も強く厳しい環境でも、常に変わらず真っ直ぐにそびえ立つ姿には勇気づけられます。日常生活の一部であると同時に癒やしも与えてくれるパワースポット的な場所です」

―地元の未来にとって塩屋埼灯台はどのような存在になり得るでしょう?
小野「塩屋埼灯台は地元の小中学校の校歌でも歌われるほど、子どもから大人まで身近な存在です。1938年(昭和13年) の福島県沖地震、2011年(平成23)年の東日本大震災で被災してきましたが、そのたびに復旧され灯りをともし、人々にとっての復興の灯火にもなっています。帰ってくるための道しるべとして、心のシンボル、人生の節目を彩るものになってほしいです」

―今後、塩屋埼灯台を地元で活用するために必要なことは?
小野「すでに小中学校とは灯台と触れ合う取り組みなどの連携を進めています。”近すぎてのぼらない”から、”ふらっと立ち寄れる”ような環境作りを推し進め、地域行事の会場としても活用していきたいと思っています。塩屋埼灯台は地上から99段の石段を上っていくのが特徴ですが、それがより心躍る時間となるように整備を進め、維持管理にも地域が積極的に関与するようにしていきたいですね」

小野代表が愛して止まない地元の復興の象徴・塩屋埼灯台への思いを語る応援動画も、ぜひあわせてご覧ください。