「ふるさと自慢の建物」地元住職が語る灯台の思い出【京都府京丹後市 経ヶ岬灯台】
2022/03/21灯台と私たちの結びつきを再認識する期間「海と灯台ウィーク」(2021年度は11月1日~8日実施)に際し、海と灯台プロジェクトでは全国各地の灯台に縁ある方々の話を伺い「海と灯台学」を編纂する活動を実施されました。その取材から、今回は京都府京丹後市の曹洞宗壽雲山萬福寺の村上正宏住職に伺った経ヶ岬灯台の歴史の話をお届けします。
―経ヶ岬灯台に興味を持ったきっかけを教えてください。
村上「自分の生まれ育った土地にある有名な灯台であるとともに、地域の歴史と結びついていることから関心を持ち、毎日灯台がある山を眺めている中で愛着が湧きました。また、灯台は海運にとって重要な役目があると知って、より興味が深まっていきました」
―地域のために行っている活動はありますか?
村上「経ヶ岬灯台がある袖志地域の地理や歴史を冊子『丹後町みてあるき』『ぶらりスケッチ丹後町』にまとめたり、月に1回、地域の伝統行事や地名の謂われなどを記した寺報を興味のある方に配ったりもしています」
―幼少期に伝え聞いた経ヶ岬灯台のエピソードを教えてください。
村上「経ヶ岬灯台に物資を運んだり修理を行う用務員さんが近くに住んでいて、毎日灯台まで歩いて通っていました。小学生の頃、夏休みに友達と歩いて灯台へ行ったら『よく来たな』と褒められて、灯台守の方にトマトをもらった思い出があります。また、袖志地域に『灯台の家』と呼ばれる家があり、その家の方が灯台長を務めていました。明治時代の終わり頃に半農半漁の生活をする中で、親子で漁に出て遭難して真っ暗闇で方角がわからなくなってしまった時に灯台の灯りに導かれて無事に帰ることができたという経験から、将来は灯台守になると決意し勉強を重ねて灯台長になったという所以を聞きました。灯台守の家の子どもは、灯台がある山から小学校に通うのが大変なので、冬場は子どもと母親だけ山の麓に家を借りて住んでいて、土日は灯台がある家に戻っているのですが、日曜の夜に大雪が降って山道が閉ざされ、1ヶ月ほど学校に来られなかったことがありました」
―村上住職にとって経ヶ岬灯台はどのような存在ですか?
村上「ふるさとの自慢できる建物であると同時に、経ヶ岬灯台は全国的に有名なので出身地を紹介するときにすぐに理解してもらえるシンボル的な存在です。ただ、袖志からは木に隠れて灯台が見えないのがちょっと残念ですね」
村上住職のインタビューはこちらの動画でも、貴重な写真資料とともに視聴できます!