「港町として発展した堺の象徴」市民の憩いの場として進む周辺整備と利活用【大阪府堺市 旧堺燈台】

2022/03/26

灯台と私たちの結びつきを再認識する期間「海と灯台ウィーク」(2021年度は11月1日~8日実施)に際し、海と灯台プロジェクトでは全国各地の灯台に縁ある方々の話を伺い「海と灯台学」を編纂する活動を実施されました。その取材から、今回は大阪府堺市の旧堺燈台について、堺台場研究会・城郭談話会の山本尊敏(山本ゾンビ)さんに伺ったお話をお届けします。


―灯台に関心・興味を持ったきっかけを教えてください。
山本「旧堺燈台周辺(大浜公園・堺旧港)は子どもの頃からの散歩コースで、概要を知ったのは『大阪府の歴史散歩』下巻(山川出版社)を読んだことです。2000年代に解体修理や周辺の整備が進み、堺市によってパンフレット配布や内部見学会、点灯、ライトアップなども行われるようになり、市民の憩いの場になっています。堺市立図書館が資料を公開していることもあって、興味が深まりました」

―幼少期に伝え聞いた灯台のエピソードや思い出はありますか?
山本「旧堺燈台はかつて柵越しに遠目にしか見られませんでした。幼少時には大浜公園内にある体育会館には体操の練習に行っていて、売店でドーナツを買ってもらうのがうれしかったのを覚えています。公園内のサイクリングコースも台場の遺構でしたが、当時は意識していませんでした」

―灯台について詳しいと思う分野を教えてください。
山本「旧堺燈台および堺旧港の海防、特に堺のお台場の構造についてです。海防の機運が高まり、大阪湾で最も早く江戸幕府により本格台場が築造されました。特に南台場は大きく、彦根藩によって当時研究された洋式で築かれ、現在も土塁・石垣・堀が残っています。築造された頃は和式木製燈台で北台場(現在の大浜北公園)の東にあったようです。洋式灯台が造られた頃には堺台場は役割を終え大浜公園となり、1903年(明治36年)の内国勧業博覧会の会場にもなりました。

―あなたにとって灯台はどのような存在でしょう?
山本「港町として発展した堺の象徴です。旧堺燈台をはじめ複合的な近世末期〜近代の遺跡として、よい形で調査や整備、活用が進んでほしいです」

―今後、灯台を地元で活用するために必要なことは?
山本「旧堺燈台と周辺全体を貴重な歴史遺産と考えて、有効に活用できれば。たとえば、ガイドマップやパンフレットの作成に加え、スマホやタブレットを通じてARやVRで紹介するのもよいかと思います」

旧堺燈台を山本さんと共に紹介する動画もあわせてチェックしてみてください!