「灯台は島の歴史を語る上で大事な部分」灯台資料館を守り続ける夫婦の心意気【広島県大竹市 安芸白石灯標】
2022/03/28灯台と私たちの結びつきを再認識する期間「海と灯台ウィーク」(2021年度は11月1日~8日実施)に際し、海と灯台プロジェクトでは全国各地の灯台に縁ある方々の話を伺い「海と灯台学」を編纂する活動を実施されました。その取材から、今回は安芸白石灯標(広島県大竹市)を望む阿多田島灯台資料館を管理する海の家あたた管理人/元・阿多田島自治会長の本田 幸男さん・道枝さんご夫婦に伺ったお話を紹介します。
―灯台に関心・興味を持ったきっかけはを教えてください。
本田「阿多田島に生まれ育ちました。幼少時にはまだ灯台資料館はなく、安芸白石灯台事務所として、付近の灯台や灯標を管理する海上保安部の職員が常駐していました」
―安芸白石灯標にまつわるエピソードを教えてください。
本田「戦時中には灯台が標的になったこともあったそうです。空襲警報が発令されるたびに、阿多田島の事務所に常駐していた灯台職員が3km沖に浮かぶ安芸白石灯標まで船で暗幕を被せに行っていた、といったエピソードは以前からよく聞いていました。戦時中から戦後にかけて安芸白石灯標を担当した伊藤武夫灯台長とその一家、また伊藤氏の部下であった山口正夫氏の被爆にまつわるエピソードです。伊藤武夫灯台長を除く一家4人と山口氏は広島に投下された原子爆弾による被爆が原因で亡くなりました。
―あなたにとって灯台はどのような存在ですか?
本田「島で生まれ育った者としては、島の歴史の一部です。一度、島外へ出て就職しましたが、今こうして生まれ故郷の島に戻ってきて、海とともに暮らす島の生活は私にとって大切なものです。自治会などを任される中で、島内唯一の宿泊施設と、島の歴史の証人である『灯台資料館』の管理も任されるようになりました。元気な限りは何とか続けたいと思っています」
―これからの阿多田島にとって灯台はどのような存在になり得ると思いますか?
本田「過疎化による人口減少が続く島を訪れるきっかけになってくれると嬉しいと思います。地元での活用には、まず阿多田島のことを、灯台のことも含めて知ってもらうことです。灯台は島の歴史を語る上で大事な部分であり、そこをきっかけに、過疎が進むこの島を訪れてもらうきっかけになればと思います」
本田さんご夫婦が貴重な資料が保管されている阿多田島灯台資料館を紹介する動画もぜひご覧ください。