「北九州市のシンボル、その観光推進には周辺整備が不可欠」地元ボランティアが考える利活用の未来【福岡県北九州市 部埼灯台】

2022/03/30

灯台と私たちの結びつきを再認識する期間「海と灯台ウィーク」(2021年度は11月1日~8日実施)に際し、海と灯台プロジェクトでは全国各地の灯台に縁ある方々の話を伺い「海と灯台学」を編纂する活動を実施されました。その取材から、今回は福岡県北九州市門司区の部埼灯台について、門司港運株式会社代表取締役専務、永木三茂さんに伺った話をお届けします。

―灯台に関心・興味を持ったきっかけを教えてください。
永木「灯台は比較的地の利の悪い場所に建てられていることが多く、建設した先人への畏敬の念から興味を持ちました」

―部埼灯台にまつわる思い出を教えてください。
永木「中学生の頃、友人と自転車で部埼灯台に遊びに来ました。海水で研いだお米を灯台守の方から清水を頂いて飯盒で炊き、サバ缶をおかずに食べたことや、灯台の前で泳いだりしたことを思い出します。1968年(昭和43年)に無人化され、灯台守はいなくなりました」


―部埼灯台について詳しいと思う分野を教えてください。
永木「部埼灯台が荒れ果てていると聞き、2005年(平成17年)に『美しい部埼灯台を守る会』を発足し、毎月ボランティアで清掃や植栽などをしています。今では大分県の国東半島や山口県までが一望でき、四季折々の花が咲き誇っています。関門海峡の東の出入り口で、かつてこの海域を航行する船舶は検疫を受けなければ日本に入国できず、ここが検疫錨地でもありました。現在は無線検疫となっています」


―部埼灯台についてのエピソードを教えてください。
永木「部埼灯台の由来として語り継がれているのが僧清虚です。1,836年(天保7年)、大分の竹田津港から高野山へ向かう途中で、清虚は船の乗客が一斉に念仏を唱えるのを不思議に思いました。理由を尋ね、それが難所として事故が絶えない海域であるためだということを知り、高野山行きを諦めた清虚は部埼の地に庵を結び、毎夜薪を焚いて船の安全を祈り続けました。現在、灯台下には清虚像がありますが、これは私の祖父である野畑彦蔵ら白野江、青浜の住民により建立されたものです」


―今後、部埼灯台を地元で活用するために必要なことは?
永木「部埼灯台は北九州市のシンボルで、観光に力を入れていくためには必要不可欠です。ただ、近辺にお手洗いがないなどまだ問題が残されているので、さらに周辺の整備が進められていくことを願っています」

こちらの動画で、永木の取り組みも紹介されていますので、ぜひチェックしてみてください。