「歴史を紐解くことで、灯台が作られた理由や船との関連性がわかってくる」【高知県土佐清水市 足摺岬灯台】

2022/03/29

灯台と私たちの結びつきを再認識する期間「海と灯台ウィーク」(2021年度は11月1日~8日実施)に際し、海と灯台プロジェクトでは全国各地の灯台に縁ある方々の話を伺い「海と灯台学」を編纂する活動を実施されました。今回は 元海上保安庁職員で現在は民宿を手伝われている松田正俊さんにお話を伺いました。

―灯台に関心・興味を持ったきっかけを教えてください。
松田
「1979年(昭和54年)年に入庁して舞鶴の海上保安学校で2年間の教育を受け、土佐清水に赴任してきました。GPSがない頃は灯台を見て船が航行していたので、我々も灯りが消えたらすぐに復旧できる態勢を取っていましたし、しっかり灯台を守り続けようという心構えをしていました。また、海に立つ灯台や灯標では、工事などの際に天候の関係で渡れないことがあり、そうした日程調整を行う中でさらに愛着が湧いてきました」

―灯台について詳しいと思う分野を教えてください。
松田「灯台の歴史です。江戸時代末期にペリーが来航し開国・通商条約を結んで五港(横浜・神戸・長崎・新潟・函館)が開港し、灯台を作ることを求められ、外国人技師の指導で沿岸灯台を作り始めました。大阪湾に入る航路には、室戸岬灯台をはじめ、友ヶ島灯台、淡路島の江埼灯台など、歴史的な灯台がいくつもあります。足摺岬灯台は1914年(大正3年)に作られましたが、それまではこの太平洋沖を航行する船はありませんでした。この西には叶埼灯台がありますが、こちらは豊後水道に入る船に対する灯りとして作られたものだと思います。同じ豊後水道方面には水ノ子島灯台や姫島灯台などの歴史的な灯台もあります。そうした長い歴史を紐解いていくことで、灯台が作られた理由や船との関連性、船に対する道しるべとしての役割などがわかってくると思います」

―松田さんにとって灯台はどのような存在ですか?
松田「ずっと灯台に携わってきたので、自分を育ててくれたものだと思っています。今後も大切にしていきたいと思います」

―今後、灯台を地元で活用するためにどのようなことが必要だと思いますか?
松田「地元の方が整備して観光誘致の活動をしていますし、若い世代にも灯台の歴史や重要性を考えていってほしいと思います。足摺岬の先端に位置するシンボリックな存在としてあり続けてほしいです」

松田さんが登場する動画もあわせてご覧ください。