「これからも末永く重要な役割を担う存在」日本人が設計した、国内初の無筋コンクリート造灯台【宮崎県日南市 鞍埼灯台】
2022/03/31灯台と私たちの結びつきを再認識する期間「海と灯台ウィーク」(2021年度は11月1日~8日実施)に際し、海と灯台プロジェクトでは全国各地の灯台に縁ある方々の話を伺い「海と灯台学」を編纂する活動を実施されました。その取材から、今回は宮崎県日南市の鞍埼(くらさき)灯台について、大島プロジェクト会議の若松俊二会長に伺った話をお届けします。
―灯台に関心・興味を持ったきっかけを教えてください。
若松「鞍埼灯台の点灯100周年記念式典の機会に私の会社(株式会社竹井建設)が灯台線の道路改良を請け負い、現在の道になったのですが、その時期から灯台に関心を持ちました。その後、2015年(平成27年)に大島プロジェクト会議を立ち上げ、灯台の歴史やその必要性、重大な役目を担っていることなどを知り、興味が深まりました」
―灯台について詳しいと思う分野を教えてください。
若松「鞍埼灯台は、日本人技師の藤倉見達氏が設計し、日本で初めての無筋コンクリート造の灯台として1884(明治17年)8月15日に初点灯しました。ちなみに同じ宮崎県の都井岬灯台は1929(昭和4年)の点灯です。明治時代は地元の石材を利用した石造りの灯台が多かったのですが、大島周辺は宮崎層群と呼ばれる地層で硬い石材の調達ができなかったこともあって、日本初の無筋コンクリートで作ることになったと言われています。大島は外洋からの波をさえぎる天然の防波堤として目井津港、外浦港、大堂津港、油津港を守っているため、幕末の頃から船の往来があり、海難事故を防止して船の安全を守るために灯台が作られたのでしょう」
―幼少時に伝え聞いた灯台についてのエピソードや思い出を教えてください。
若松「鞍埼灯台は1945(昭和20年)の3月~7月頃までに米軍の空襲を6回受け、一時期は無灯の時があったと子どもの頃に聞きました。大島小学校の唯一の遠足の場所として毎年1回は行っていました」
―あなたにとって灯台はどのような存在ですか?
若松「これからもきっと末永く点灯して、航行する船舶に危険の存在を知らせる重要な役割を担うであろう、大島のシンボルですね。大島プロジェクト会議では灯台周辺や道路の環境整備をしていますが、イベントやツアーなどで活用できるよう、これからますますその重要性が増してきますし、より一層力を入れていきたいと思っています」
若松会長が鞍埼灯台の歴史解説、紹介をされた動画も公開中です。こちらもあわせてチェックをお願いします!