日本の灯台の灯器(光源)の変遷
2025/05/28
光源の電化は、1901(明治34)年の尻屋埼灯台のアーク灯(アラード式電気弧光灯)が最初である。フランスのエクミュール灯台を模したもので、発電設備は石油発動機と発電機を組み合わせたものを灯台構内に設備した。破格の光力であったが、設備費が高額で保守が困難なため、採用はこれのみであった。1910(明治43)年、神島灯台にタングステン線条32ワット白熱電球の灯火が灯され、翌年には四日市灯台に、同じ白熱電球が商用電力により初めて点灯された。
同じ頃、大型灯台の石油灯器は石油を圧縮気化させマントルに噴出させ燃焼した灯火を用いた石油蒸発白熱灯器が各種採用され始めた。1904(明治37)年に水ノ子島灯台にバビエー式、姫島灯台にソーターハーレー式、1909(明治42年)に神子元島灯台にルックス式、1911(明治44)年に烏帽子島灯台にチャンス式が取り付けられた(図4)。中でも取り扱いが簡易なチャンス式がその後も多く採用され、「チャンス」の呼び名で親しまれ、電化された灯台においても非常用灯器として長く使用された。
図4.ルックス式(左)とチャンス式(右)石油蒸発白熱灯器
また小型の灯台や浮標、灯柱にはこの時期、ピンチガス灯器が採用された。1900(明治33)年に壇ノ浦灯台の構内にピンチガス蒸造所が設けられ、壇ノ浦灯台、高瀬浮標等に取り付けられた。特殊な蒸造所と配給船を必要としたため、関門地区と京浜地区のみでの採用となった。1908(明治41)年にアガ式アセチレンガス灯器が三池港の浮標と根室港弁天島灯台に取り付けられた。アセチレンガスはピンチガスより光力が強く、ボンベで輸送できるためその後広く用いられた。1913(大正2)年新設の大角鼻灯台にアガ式25ミリマントル直立式明暗器(アセチレンガス白熱灯器)が取り付けられ、さらに優秀なアガ式アセトアセチレンガス白熱灯器も1916(大正5)年に湯島灯台に取り付けられた。アセチレンガス灯器は、石油持久灯器に代わり、その後国産化に成功したため、以降昭和後期まで長く使用された(図5)。
図5.アセチレンガス灯器(左)とアセチレンガス白熱灯器(右)
大型灯台への本格的な電球の採用は、1917(大正6)年の御前埼灯台の1000W ニトラ電球が始まりである(図6左)。このガス封入白熱電球は、以前のガス封入ではないものと比べ強力な安定した光で寿命も長く、電気が各地の灯台まで供給されていくのに伴い石油灯器は順次電球の灯器に交換された。1952(昭和27)年には東京芝浦電気の協力のもと、灯台の電球は形状、寸法、性能が規格化され、同社製の電球がその後長年使用された(図6右)。
図6.ニトラ電球(左)と東芝製の各種灯台電球(右)
戦後、フィラメントの電球以外に各種の放電灯も各地で取り付けられた。1948(昭和23)年, ネオン灯が伊豆大島波浮港導灯に、以降導灯には蛍光灯が取り付けられた。1966(昭和41)年3月、光力の強いキセノンランプが都井岬南灯台と留萌灯台, ナトリウムランプが関門大瀬戸導灯に取り付けられた。1975(昭和50)年にハロゲン電球が臥蛇島灯台、1986(昭和61)年に高圧ナトリウムランプが三木浦港防波堤灯台、そしてメタルハライドランプ(HighIntensity Discharge Lamp)が1990(平成2)年に二神島灯台に取り付けられた。以降、大型灯台には東芝製の電球に代わりメタルハライドランプが取り付けられた(図7)。
図7.キセノンランプ(左),ハロゲンランプ(中央),メタルハライドランプ(右)
LED の灯台への採用は1989(平成元)年の神戸港苅藻島西灯台が最初である。LED の登場は灯台の保守を大きく改善させた。電球は500時間毎の交換を要していたが、LED は10年以上交換が不要となり、年に1回の点検保守へと激減した。今日、灯台の灯器(光源)の主流となったLED 灯器は電源の太陽電池と共に進化を遂げ、低消費で耐久性のあるコンパクトなものが採用されている(図8)。
図8.新旧のLED灯器
メタルハライドランプは2023(令和5)年9月に製造中止となり、現在保有のものが無くなり次第、COB(Chip On Board)LED やSMD(Surface Mount Device)LED を光源とする高輝度LED 灯器に順次交換されていく(図9)。
図9.COB光源(左)とCOBLED灯器(右)
明治初頭から令和の今日まで、日本の灯台の灯器(光源)は常に最新の技術が投入され続けてきた。海上保安庁は、先人たちが培ってきたこの技術を継承し、これからも航海者へ安心安全な灯火を送り続けていく。
執筆者紹介

星野 宏和(1966年2月28日)
■福井県福井市
■ 海上保安庁 第九管区海上保安本部 伏木海上保安部
■ 海上保安学校 灯台課程卒
■ 海上保安庁交通系業務
海上保安学校灯台課程を卒業後、野島埼航路標識事務所(千葉県)を皮切りに、日本各地の航路標識を保守管理する部署や海上交通センターなどにて海上保安庁の交通系業務に従事し、ライフワークとして明治期の灯台を調査研究する。
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