「恋する灯台」美保関灯台がなければ、この映画は生まれなかった! 監督×現地プロデューサーが語る映画『いざなぎ暮れた。』誕生秘話【島根県松江市 美保関灯台】

2020/03/19

島根県松江市美保関町オールロケの映画『いざなぎ暮れた。』(3月20日[祝]よりテアトル新宿にて公開)。小さな港町で繰り広げられる大きな愛の物語は海を越え、モナコ国際映画祭をはじめ12カ国26の映画祭でベスト作品賞を含む10タイトルを受賞(※2020年1月時点)という快挙を達成しています。神様に一番近い港町を疾走する破天荒なロードムービーを作り上げた、笠木望監督と現地プロデューサーの住吉裕さんに企画スタートの経緯や撮影時のエピソード、「恋する灯台」美保関灯台をはじめとするロケ地・美保関の魅力についてたっぷり伺いました。

 

――モナコ国際映画賞ではモナコ国際映画祭での最優秀主演男優賞と最優秀映像賞の2冠受賞おめでとうございます。現地ではどのような反響だったのでしょうか?

笠木望監督(以下、笠木) 「日本にはこんな場所があるんだ。神秘的で素敵な場所だね。映画でこの場所を知ることができてよかった」という言葉をかけていただきました。海外の方が日本と聞いてイメージするのは東京や京都ですが、日本人である私から見ても美保関は「今までにない力を持っている景色」という印象を受けます。海外の方にはより目新しくチャーミングに映ったと思います。

住吉裕プロデューサー(以下、住吉) 島根半島の先にある本当に小さな港町が、海を越えてモナコで大きなスクリーンに映し出されるなんて、撮影前までは想像もしていなかったことです。うれしいかぎりですね。

 

(c)2018「いざなぎ暮れた。」製作委員会

(c)2018「いざなぎ暮れた。」製作委員会

――東京での公開に先立ち、島根では先行上映されましたが、地元は盛り上がったのではないでしょうか?

住吉 クランクアップの時は地元のテレビ局にも取り上げていただき、舞台挨拶のときにはたくさんのマスコミの方が取材に来てくださいました。

笠木 松江のオールメディアが来てくださったと聞いています。本当にありがたいです。

 

――美保関を舞台にした映画を制作するに至った経緯を教えてください。

住吉 「地域発信型の映画を撮りませんか?」と吉本興業さんから松江市に声がかかりました。美保関を含めて3ヶ所くらいに松江市から打診があり、「地域のアピールにつながる、これはチャンスだ!」と思って手を挙げたのがきっかけですね。スケジュールがタイトなのはその時点でわかっていたことでしたが、迷わず手を挙げたのがよかったのかなと思っています。

 

(住吉裕プロデューサー。同氏の灯台フォーラムでのプレゼンテーションはこちらに掲載)

笠木 住吉さん自ら手を挙げたのですね。それははじめて伺いました。すごいですね。

住吉 そこからプロデューサーという名の使いっ走りの仕事が始まりました(笑)。

笠木 (笑)。住吉さんには本当にいろいろと現場を仕切ってくださって感謝しかないです。

(映画『いざなぎ暮れた。』ロケ地マップ)  (c)2018「いざなぎ暮れた。」製作委員会

――美保関での撮影が決まった後、どんな動きがあったのでしょう?

笠木 私は北海道出身で、島根という場所には縁もゆかりもなく、これまで訪れる機会もありませんでした。まず気になったのは「地域発信型映画として地元としてはどんな作品を撮りたいのか」ということです。すると、地元で開催されるお祭り(神事)を映画に出したいというリクエストをいただきまして。

住吉 そのお話をしたのが11月の半ばくらいで、「あと1、2ヶ月で作品を作らなければいけない」というスケジュールでした。その時期にあるお祭りが映画に登場する「諸手船神事」でした。

笠木 「これを撮りたいです!」と見せていただいた写真は、小さな船で水を掛け合っているだけのものだったので、正直「物語にはならない」と思いました。現地に行って町を見れば、他のモチーフやいいネタが見つかるかもしれないという気持ちを秘めながら(笑)、現地入りして住吉さんと初対面しました。すると、住吉さんが流れるような口調で古代の神話や、江戸時代の歴史、その場所にちなんだエピソードなどを語ってくださって。写真で見たお祭りは、実は古事記や日本書紀に書かれているような出雲「国譲り神話」にちなんだ神事だということも教えていただきました。この話を聞いた瞬間に「ここで撮ろう」と思いました。

(諸手船神事) (c)2018「いざなぎ暮れた。」製作委員会

(c)2018「いざなぎ暮れた。」製作委員会

住吉 トークで無理やり押し付けたのかもしれないけれど(笑)。でも、町のアピールをしたら、監督が興味を示してくれたのでうれしかったです。

笠木 とはいえ、やっぱり「諸手船神事」だけでは物語にならないということで、ネタを探すべくいろいろと回っているうちに「美保関灯台」を推薦していただきました。

住吉 明治31年に建てられた、山陰最古の石造り灯台として知られています。

笠木 遠くから見たら、岬の隅っこに立つ、とても古い灯台という印象でしたが、近寄ってみると高さはそれほどないのに、とても風格があるなと思いました。灯台の外観、立地、鳥居越しに岬の下に見える沖の御前と地の御前の話や、えびす様が鯛釣りをしていたというエピソードまであって、神話が生まれている場所と聞いたら「これは映画になる」と思いました。だって、すごくロマンチックですよね。太陽と鳥居が重なるのは年に1日くらいしかないなんて、恋が関係する物語になると直感しました。すぐに持ち帰ってシナリオを書いたのを覚えています。

 (美保関灯台。手前は灯台ビュッフェ) (c)2018「いざなぎ暮れた。」製作委員会

――美保関灯台に出会わなければ生まれなかった映画なのですね。

笠木 全くその通りです。「諸手船神事」と「美保関灯台」が作品のキーポイントになっています。

 

――灯台から恋のインスピレーションが湧いたというお話を監督から伺って、住吉さんはどんな風に感じましたか?

住吉 まさに「恋する灯台」にぴったりだなと思いました。シナリオが出来てはじめて恋の話になるとわかったのですが、「よくぞこの短期間に、しかも恋する灯台にぴったりのロマンティックな話を作ってくださいました!」と感謝しかなかったです。

笠木 最初は15分程度の短編というお話だったのですが、私の中ではシナリオの段階でも60分くらいイメージしていましたし、編集の段階ではすでに長編になるなと思っていました(笑)。スタッフもキャストもみんな撮影終了まで短編だと思っていたはずです。

(笠木望監督)

住吉 撮影が終わって帰り際に「長編になると思います」と伺いました。なぜここで何カットも撮影するんだろうと感じることが何度もありました(笑)。だけど、この映画が小さな町をたくさんの方に知っていただくきっかけになればと思い、そのときは一生懸命撮影をサポートすることだけを考えていました。

笠木 地域映画の撮影では、シナリオに書いていても現地で撮影不可になることも少なくありません。現地に行ってから諦めるという経験を何度もしてきました。しかし、今回は現地プロデューサーの住吉さんと岩成優子さんが率先して動いてくださり、ことごとく実現してくれたので、長編になってしまいました(笑)。

住吉 監督がしつこかったから、頑張ったんですよ(笑)。

(c)2018「いざなぎ暮れた。」製作委員会

(c)2018「いざなぎ暮れた。」製作委員会

笠木 (笑)。最初は「住吉さん、こういうのを撮りたいのですが、用意できますか?」という感じだったのですが、電話しただけで「次、何やればいいの?」と言われるようになって。その次には「何やりたいの? そう思ったからもう準備しておいたよ」って言われるようになって。シナリオを見て、私のやりたいことを先回りして動いてくださいました。

住吉 その分、プレッシャーはかけていましたよ(笑)。これだけ頑張ったのだから、いい映画にならなかったら……、ってね。プレッシャーをバンバン浴びせていました。

 

――そうやって海を越えて高評価を得る作品が出来上がったのですね。

住吉 最初は自主上映や美保関PRのために上映するくらいしかイメージしていませんでした。海外で上映されたり、賞をいただいたり、島根、東京でも公開されるなんて。ありがたい話です。

笠木 私自身もこの映画をスーパーシティ・モナコで海外の方と観ることになるとは想像していませんでした。シュールな感覚に襲われました。毎熊克哉さん演じるノボルが美保関灯台近くで点灯するシーンとか、武田梨奈さん演じるノリコが大暴れするシーンとか、特に笑いが起きていましたね。撮影時のことをいろいろ思い出してきましたね。いいことも、大変だったことも(笑)。

(c)2018「いざなぎ暮れた。」製作委員会

――美保関灯台の側でノボル転倒するシーンも最高でした。その後の展開が、まさに「恋する灯台」を印象付ける内容で必見だとも思いました。東京での反応も楽しみです! 最後に公開を待つ方たちに向けてメッセージをお願いします。

住吉 美保関という小さな町がスクリーンに目一杯登場するだけで、よろこびを感じています。映画では灯台はもちろん、町の風情も素敵に表現していただきました。映画を観て、この町が気になったらぜひ、ロケ地マップを手に美保関にお越しください。お待ちしております!

笠木 日本の起源にまつわるお話が描かれています。私の中では、御代替り(みよがわり)に際して平成を振り返るという意味合いを持っている作品でもあります。映画はエンターテイメントであるとともに、芸術な部分もあり、社会に対するアクション、それを変える力そのものになる。そんな思いを込めて映画作りをしています。コロナウィルスで混乱を極める今の日本の状況は、平成を生きた私たちの選択の果てに現れた必然だと思っています。今こそ観てほしい作品です。ぜひ、楽しんでください。

 

(取材・文・写真/タナカシノブ 構成/サンクレイオ翼)