関東の灯台をめぐる!オリジナル知識紀行番組「中村獅童の灯台見聞録」収録レポート【前編】

2021/11/18

11月1日が「灯台記念日」であることにちなみ、日本財団と海上保安庁で設定した「海と灯台ウィーク」(11月1日~8日)の関連企画として制作された、オリジナル知識紀行番組「中村獅童の灯台見聞録~灯台が照らし続けた海と日本人の記憶~」。

俳優・中村獅童さんが、フリーアナウンサー・笠井信輔さんと共に「灯台」を巡り、「近代史」「建築」「地域とのつながり」など、灯台にまつわる歴史を探訪します。 今回は、10月31日(日)16時~17時にBSテレ東にて放映された同番組の収録レポート【前編】をお届けします。ぜひ、番組のダイジェスト映像【前編】とあわせてお楽しみください。

台風一過となったロケ初日は、前日までの荒天とは打って変わった快晴。最初に、神奈川県横須賀市を訪れた二人は、1853年にアメリカ海軍のマシュー・ペリー提督が来港した浦賀水道を一望した後、浦賀湾の西にある「浦賀燈明堂」を訪れます。

ここで二人を待っていたのは、横須賀市西浦賀町で老舗書店の七代目店主を務める横須賀開国史研究会の会長・山本詔一先生。1648年、江戸幕府によって築造された燈明堂が、どのようにして灯りを海に届けていたのかなどを山本先生に教えてもらいますが、獅童さんは瓦屋根の和風な外観の燈明堂に対し、「灯台のイメージと全然違う」と戸惑いの表情を浮かべます。

そんな二人を、山本先生は日本で最初の洋式灯台である「観音埼灯台」へと案内。途中、明治時代に作られた日本初の西洋式砲台跡を見学したり、道行く人から観音埼灯台が、日本国内の登れる灯台16基のうちのひとつだと教えてもらったりしながら、観音埼灯台へと到着します。

そこで獅童さんに「なぜ観音埼に日本初の洋式灯台が建てられたのか?」という見聞テーマが出題。考える獅童さんに、山本先生は1866年に江戸幕府が米、英、仏、蘭の4ヵ国と結んだ改税約書「江戸条約」の中で航路標識に設置が義務づけられ、太平洋側に8基の灯台が建造されたことを教えてくれました。

そして、いよいよ観音埼灯台に登る獅童さんと笠井さん。そこから一望できる東京湾の絶景にすっかり圧倒された様子の獅童さんは「知らないことだらけだし、近くで見ると灯台って本当に立派なんだなということが発見でしたね」と、感慨深い様子。

「眺めが最高でした!」と笑顔を浮かべた獅童さんに出された次なる見聞テーマは「なぜ、灯台の光は遠くまで届くのか?」。その答えを見つけに、二人は千葉県最南端にある「野島埼灯台」へ向かいます。(後編に続く)

取材・写真:中村実香