「まずは地元の人に灯台の価値を知ってもらいたい」観光拠点としての灯台を、より浸透させるために【和歌山県串本町 潮岬灯台&樫野崎灯台】

2022/03/27

灯台と私たちの結びつきを再認識する期間「海と灯台ウィーク」(2021年度は11月1日~8日実施)に際し、海と灯台プロジェクトでは全国各地の灯台に縁ある方々の話を伺い「海と灯台学」を編纂する活動を実施されました。その取材から、今回は和歌山県串本町の潮岬灯台と樫野崎灯台について、南紀串本観光協会の宇井晋介 事務局長に伺ったお話をお届けします。

―灯台に関心・興味を持ったきっかけを教えてください。
宇井「本州最南端の灯台、潮岬灯台が家から見える岬の先端にあり、すぐそこに灯台があるのが普通という環境で育ちました。生まれつき高所恐怖症で、子どもの頃に家族で潮岬灯台に登ったのですが、周囲が手すりだけの展望台に出るのがとても怖かった思い出がありますね。実は今でも苦手です」

―灯台への関心はどのように深まったのですか?
宇井「現在の仕事に就いて観光の観点から灯台を意識するようになり、灯台フォーラム(現・海と灯台プロジェクト)にも参加したことで、灯台が観光に果たす役割を再認識しました」

―地元の灯台についてのエピソードを教えてください。
宇井「樫野埼灯台は明治の初め、1870年(明治3年)に点灯した日本最古の石造り灯台で、現在は白色のペンキで塗られていますが、建設当初は地元産の漆喰で塗られていたと聞きます。この漆喰は『熊野灰』と呼ばれる、珊瑚から取った石灰で作られたもので、珊瑚が自生する串本ならではのものです。昭和40年代頃までは石灰を焼く窯が海岸沿いにあり、浜で拾った珊瑚を焼いて石灰を製造していました。また、灯台作りのために来日したイギリス人技師ブラントンが故郷を懐かしんで灯台の周りに水仙を植えたという逸話もあり、現在も名物になっています。1890年(明治23年)に起きたトルコ軍艦エルトゥールル号遭難事故で、当時の串本の人々が懸命に生存者の救助にあたった場所としても知られています」

―灯台はどのような存在ですか?
宇井「地元の観光の目玉になり得る『観光コンテンツ』として注目しており、フォトコンテストなど活用もしていますが、そこにあって当たり前の存在であり続けていたからこそ、その希少性があまり認識されていないとも感じています。まずは地元の人から、灯台は価値があるものだということを知ってもらわないといけないですし、これからどう活用していくべきかを私たちも一緒に考えていかなければならないと思っています」

宇井事務局長が2つの灯台を紹介する動画もぜひチェックしてみてください!