「時代を超越したタイムカプセル的建築物」歴史博物館学芸員が語る、無人島に建つ灯台の“海と灯台学”的な意義
2022/03/31灯台と私たちの結びつきを再認識する期間「海と灯台ウィーク」(2021年度は11月1日~8日実施)に際し、海と灯台プロジェクトでは全国各地の灯台に縁ある方々の話を伺い「海と灯台学」を編纂する活動を実施されました。その取材から、今回は烏帽子島灯台(福岡県糸島市)に詳しい伊都国歴史博物館の学芸員、河合修さんに伺った話をお届けします。
―灯台に関心・興味を持ったきっかけは?
河合「博物館に勤めて歴史などを勉強するうちに興味を持ちました。論文をまとめる時に歴史を調べる中で、日本の灯台の父と言われるイギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンが書いたと思われる地図を発見し、さらに興味をそそられました」
―烏帽子島灯台の歴史について教えてください。
河合「日本が開国したばかりで西洋の文化にも馴染みがなかった時代に、イギリス人のブラントンが設計し、日本人たちとともに灯台を建てました。無人島のため、物資を運ぶのにも苦労するかなりの難工事となり、海難事故により9人の死者が出たという記録があります。玄界灘における航行の安全の確保を目的として、海上交通の要所にある烏帽子島が建設地として選ばれたようです。灯台守が常駐していた建物は洋館で、暖炉やシャンデリアがありました。灯台守は、レンズの傷を調べて記録したり、天候の記録などの仕事をしていました。通信手段がなく、旗を掲げて病気や緊急事態などの意思伝達を行なっており、それを呼子の基地(現在の唐津海上保安部) で観測していました。なお、建設当初は八角形でしたが、老朽化のため1975年(昭和50年)に円筒形のコンクリート造に建て替えられました」
―今後、灯台はどのような存在になり得ると思いますか?
河合「未来にわたって海の安全を守る守り神だと思います」
―烏帽子島灯台をより利活用するためにどのようなことが必要だと思いますか?
河合「烏帽子島灯台は険しい無人島にあり、海上保安部の管理下で一般の方は出入りできませんが、歴史的にも重要な建造物を時代を超えて見ることができる、いわば『タイムカプセル』です。海の安全を守るために難工事を成し遂げた昔の人たちの思いが残っています。その灯台が150年近く経った今もなお海の安全を守っているということを、未来にも伝えていく必要があると思います」
河合さんによる烏帽子島灯台の詳しい紹介は、動画もあわせてチェックしてみてください。