三重県 鳥羽市 菅島灯台
三重県鳥羽市の沖にある菅島に建つ灯台。現役灯台としては日本最古のレンガ造灯台で、ブラントンの設計による搭形は歴史的価値の高さを認められ、Aランクの保存灯台に指定されている。
灯台データ
- 初点灯: 1873年(明治6)年
- 灯台の高さ: 9.7m
- 灯りの高さ: 54.5m
- 形状: 白塔形
- 灯質: 単閃白光
- 光達距離: 約27km
- レンズ・灯器: LED灯器(詳細不明)
- 構造: レンガ造
- 設計者: ブラントン
地理データ
地理:多数の岩礁が船乗りたちの行く手を阻む難所
菅島は東西に長い面積約4.5平方kmの島。近隣の島々との距離が近く、自然と岩礁も多くなるために、菅島周辺は船乗りたちから「鬼ケ崎」と恐れられる難所だった
地形:伊勢湾と太平洋を望む風光明媚な地
菅島を含む近隣の島々は伊勢湾口部に位置し、多数の天然礁によって漁業が盛んに行われてきた。起伏に富んだ地形は植物の生育にも貢献しており、菅島西部の大山では冬になると紅ツゲの群生がみられる。
歴史:海の安全を守ってきたかがり火
万葉集にも菅島の景色が詠まれるなど、古来から人々の暮らしが営まれていた。灯台がある場所では、江戸時代から灯台の役目を果たす「おかがり堂」があった。
信仰:アワビを奉納して豊漁を願う祭り
毎年7月に行われる「しろんご祭り」では、島の海女たちが一斉に白浜から海へ潜り、つがいのアワビの初採りを競う。獲れたアワビは島の白髭神社に奉納し、豊漁と海上の安全を願う。
漁業:島の地形を利用して得られる豊富な海産物
島周辺の岩礁に魚類が滞留するため、一本釣りや刺し網漁が行われてきた。夏には海女漁業、冬にはノリやワカメの養殖が行われ、採れた海藻類を干す風景は冬の菅島の風物詩となっている。
その他:様々な観光ニーズに応える
島内には宿泊施設が点在し、菅島灯台をはじめ新鮮な海の幸や動植物、戦争遺構である監的哨跡といった観光資源を活かした観光客の受け入れを積極的に行っている。
食文化:伊勢神宮から吹く風でつくられる干物
菅島では強い西風が吹き、この風を利用して干物が生産されている。ワカメなどの海藻類のほか、イセエビの開き干しやサメ、ホウボウなど魚の干物も作られている。
伝統芸能:牛頭天王に豊漁と海の安全を祈る奉納芸能
鳥羽エリアには牛頭天王の信仰が浸透しており、7月には各島の神社で天王祭が行われてきた。疫病や病魔を退散させる神事であり、奉納芝居や民謡踊り、歌舞伎など多彩な演目が奉納される。

「海と灯台のまち」の灯台をもっと見る

笠岡市
六島灯台
岡山県の最南端とされる「六島(むしま)」に建つ灯台。大型船舶が往来する海域ながら、潮流が速く事故が多発していた六島と香川県・荘内半島の海域の安全のために建てられた。現在も不動フレネル式レンズを残す貴重な灯台でもある。

稚内市
稚内灯台
雪でも視認しやすいよう塗装された紅白のストライプ柄が特徴。建造当時は南側に約900m離れた丘の上にあり、1966(昭和41)年に現在地に建て替えられた際、海面から灯火までの高さが移設前と同じになるよう建てられたため、北海道で最も背の高い灯台となった(塔高42.7m)。「日本の灯台50選」のひとつ。

肝属郡南大隅町
佐多岬灯台
九州最南端の大隅半島佐多岬の先に浮かぶ大輪島に立つ灯台。江戸幕府が諸外国と結んだ条約に基づいて建てられた8つの灯台のひとつで、「日本の灯台の父」と呼ばれるイギリス人技師ブラントンが設計した。初点灯時は鉄造だったが、太平洋戦争の空襲で大破し、コンクリート造に建て替えられた。

西宇和郡伊方町
佐田岬灯台
四国の西端に突き出た佐田岬半島の先端に建つ。対岸には豊予海峡を挟んだ佐賀関(大分県)があり、佐田岬灯台の光が届く。灯台で使われているレンズは佐賀関にある関崎灯台から移設されたもの。

下北郡東通村
尻屋埼灯台
東北初の洋式灯台。古くから難破船の多い岬として恐れられていた尻屋崎。明治に入り世界各国との貿易を進めるにあたり船舶安全のために建てられた。レンガ造灯台としては高さ日本一を誇る。2022年12月、国の重要文化財に指定。

東牟婁郡串本町
潮岬灯台
本州最南端の紀伊半島・潮岬に建つ灯台。開国直前の「改税条約」に基づいて建設した8基の灯台のうちの1つで、紀伊半島沖は海上交通の要衝でありながら、航海が難しい海域でもあったため、潮岬灯台の建設は急ピッチで進められた。

土佐清水市
足摺岬灯台
四国の最南端に建つ灯台。第二次世界大戦中に米軍機の機銃掃射を受けた歴史を持つこの灯台は、老朽化に伴いデザイン灯台へと一新。そのロケット型のフォルムには地域発展・世界平和などの願いが込められている。

高松市
高松港玉藻防波堤灯台
1964(昭和39)年に「高松港西防波堤灯台」として初点灯。後年、港湾事業によって北側へと伸びた防波堤の先端へ移設される。赤基調の灯台で、「赤灯台」「せとしるべ」の愛称で高松港のランドマークとしても親しまれる。

志摩市
大王埼灯台
三重県志摩半島の大王崎の突端に建つ。大正時代、大王崎周辺の海では多くの人命を失う海難事故が続出。地元の船頭も「波切大王なけりゃよい」と嘆き謡うほどの難所に、地元から声が寄せられ灯台が誕生した。

いわき市
塩屋埼灯台
白砂青松の美しい海岸線が続く「いわき七浜」の中央付近、薄磯海岸の断崖に立つ灯台。のぼれる灯台16基のひとつ。1956(昭和31)年に雑誌に掲載された、当時の塩屋埼灯台長の妻、田中きよの手記が、翌年公開された映画『喜びも悲しみも幾年月』の原点となったことでも知られる。

利尻郡利尻富士町
鴛泊灯台
利尻島の北端・ペシ岬の中腹に建つ灯台。晴れた日には隣の礼文島のほか、サハリン島を見ることもできる。島内には利尻山やオタドマリ沼といった景勝地が点在し、利尻礼文サロベツ国立公園の一部として指定されている。

丹生郡越前町
越前岬灯台
海抜131mの断崖の上に建つ白亜の灯台。岬からの絶景は「日本の夕陽百選」にも選ばれている。越前海岸周辺は日本海側随一の「日本三大水仙群生地」として知られ、冬になると灯台は一面に咲く越前水仙に彩られる。