山形県 鶴岡市 鼠ヶ関灯台
源義経が頼朝の追討を逃れ、平泉へと渡る途中で上陸したという伝説が伝わる弁天島に建つ灯台。島の手前に厳島神社、灯台の足元には赤い鳥居の金毘羅神社と2つの神社が設置され、鼠ヶ関の漁民の安全を見守っている。
灯台データ
- 初点灯: 1925(大正14)年(1979年改築)
- 灯台の高さ: 14.1m
- 灯りの高さ: 21m
- 形状: 白塔形
- 灯質: 群せん白光
- 光達距離: 約23km
- レンズ: 高光 度LED灯器(建設時は無等不動フレネルレンズ)
- 構造: コンクリート造
- 設計者: 不明
地理データ
地理:海に浮かぶ小島だった弁天島
遊歩道でつながる夕陽の美しい景勝地。かつては干潮時にのみ陸続きとなっていたが、鼠ヶ関港が避難港に指定された際に港湾を浚渫し、その土砂を利用して海岸と島をつなぐ埋め立て工事が行われることとなった。
気象:冬は季節風の影響で雪景色に
出羽山脈を背に、陽が沈む日本海側に面する沿岸部では海洋性気候となり、雨が多く日照時間も短い。冬場は北西の季節風の影響で吹雪くことも多い。
歴史:当時を切り取る「奥の細道」
古くから勿来の関、白河の関、念珠の関の「奥州三関」に数えられ、東北への玄関口だった鼠ヶ関。松尾芭蕉も通った関として当時の足跡をその書に記している。
信仰:祭り太鼓や笛にあわせて町を練り歩く「神輿流し」
毎年4月15日に厳島神社の例祭で行われる、豊穣と豊漁を祈る行事。最後は神輿をかついだ白装束の若者たちが、雪解け水が流れる鼠ヶ関川に入り、水をかけあう。
漁業:沖合で行われる底曳網漁
江戸時代に北前船が寄港した鼠ヶ関港は、現在も物流や地域の水産業の拠点となる山形県有数の地方港湾。底曳網漁が盛んで、タラやイカ、エビ等が豊富に獲れる。
その他:伝統工芸「シナ織り」
″日本三大古代布″の一つに数えられる、日本最古の織物。シナの木の皮の繊維を手作業で糸にして、反物に織り上げる。糸づくりから布まで1年ほどかかる。
食文化:宿坊で提供される精進料理
肉や魚を用いずに、独自の調味料や方法で調理した菜食料理。羽黒山伏の修験道文化と共に発展し、月山、羽黒山、湯殿山の“出羽三山”で伝承されている。
伝統芸能:地域ごとに発展した獅子踊り
現在約40あるという山形の伝統の踊り。その舞いは悪魔退治のためといわれている。藤島地域は「獅子郷」と呼ばれるほど多くの獅子舞や神楽を保全・伝承する。

海と灯台のまち紹介その他の海と灯台のまち紹介

下閉伊郡普代村
陸中黒埼灯台
1947(昭和22年)に地元漁協が「普代灯柱」として設置。三陸復興国立公園の海岸段丘の景勝地に建ち、青い海と山の緑にひときわ映える白亜の灯台。北緯40度線上の灯台として、日本海側の入道埼灯台(秋田県雄鹿半島)と対をなす。

笠岡市
六島灯台
岡山県の最南端とされる「六島(むしま)」に建つ灯台。大型船舶が往来する海域ながら、潮流が速く事故が多発していた六島と香川県・荘内半島の海域の安全のために建てられた。現在も不動フレネル式レンズを残す貴重な灯台でもある。

西津軽郡深浦町
艫作埼灯台
白神山地を仰ぐ青森県深浦町の海岸線に建つ灯台。日本海北部の灯台では最大級の高さを誇る。青森県北部の龍飛岬と秋田県男鹿半島の入道崎の中間に位置し、漁船や南北を航行する船を広範囲に見守る。

竹原市
大久野島灯台
広島県竹原市に属し、瀬戸内海に浮かぶ大久野島に建つ灯台。難所とされる「来島海峡」を避けるための航路に置かれた航路標識の1つで、現在のものは2代目。初代の大久野島灯台は香川県の「四国村」に移設されている。

京丹後市
経ヶ岬灯台
京都府北部にある丹後半島の最北端に建つ灯台。灯台のレンズはフランス製の第1等フレネルレンズで国内でも貴重なもの。通常は内部に入ることができないが、秋の一定期間のみ一般公開される。

石垣市
平久保埼灯台
八重山列島の石垣島北部にのびる平久保半島の北端、平久保先に位置。17世紀に平久保遠見台が置かれ、往来する外国船の監視が行われていた歴史を持つ。現在建つのは日本復帰前に琉球政府が建設したもの。

男鹿市
入道埼灯台
日本海を望む男鹿半島に建つ白黒のシマ模様をした灯台。全国に16基ある参観灯台の1つ。初点灯100周年を記念して設置された灯台資料展示室では、当時使用していたレンズほか灯台の関係資料を閲覧することができる。

新潟市西蒲区
角田岬灯台
佐渡海峡を渡る船舶の道しるべとなる灯台。灯台の足元には、源頼朝に追われた義経が舟と共に身を隠したとされる名勝「判官舟かくし」が顔をのぞかせ、眼下には日本海の大パノラマと角田浜の白い砂浜が広がる。

志摩市
大王埼灯台
三重県志摩半島の大王崎の突端に建つ。大正時代、大王崎周辺の海では多くの人命を失う海難事故が続出。地元の船頭も「波切大王なけりゃよい」と嘆き謡うほどの難所に、地元から声が寄せられ灯台が誕生した。

淡路市
江埼灯台
1867(慶応3)年、江戸幕府と英国公使が兵庫開港に備えて大坂条約締結の際に5つの灯台の建設を約束。その最初に建てられた。「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計による御影石を使用した石造りの洋式灯台。

網走市
能取岬灯台
大正時代、逓信省による航路標識事業で建てられた灯台。霧信号所も設置され、1948(昭和23)年までは灯台守が併設の宿舎に住んでいた。流氷により航行が途絶える2~3月は業務を休止していた。

指宿市
薩摩長崎鼻灯台
開聞岳の東側、長崎鼻の突端に1957(昭和32)年に建てられた比較的新しい灯台。風光明媚な観光地にふさわしいフォルムにと特別に設計されたデザインで、錦江湾に出入りする、または東シナ海を航行する船舶の道標としての役割を担う。



